2025年3月8日、東京大学駒場Ⅰキャンパス18号館ホールにて、ゲームの音響・音楽をテーマにした学術シンポジウムおよびレクチャーコンサートが日本音楽学会と日本デジタルゲーム学会、そして東京大学教養教育高度化機構社会連携部門の後援で開催された。世間的には「ゲーム音楽」を「学術的に」取り上げる珍しいイベントが開催される(しかも「東大」で!)、という形でSNS上でも幾らかの関心を集め、当日の詳細なレポートも学術系メディアに先んじてゲーム系ニュースサイトに真っ先に掲載されることとなった1。ということでイベントレポートとしてはいささか遅きに失した感もあるが、あらためて本報告は学術系メディア向きに(?)、企画・運営側の視点も含めて2このイベントを総括してみたいと思う。
イベント前半のシンポジウムは、そのタイトルが示す様に「ゲーム音楽」に止まらないゲームの聴覚的要素全般を対象とした学術研究の「これまで」を広く概観し、あらためて今後の展望を見据えようというやや気負った目標を掲げたものである。この新興の学術領域はようやく2020年に世界初の専門ジャーナル3が誕生したばかりであり、日本国内にはまだ研究者を束ねる組織、専門の学会や学術誌の様なものは存在していない。今回のイベントは、アカデミア内外の様々な領域で独自にゲームオーディオに関わってきた国内の専門家を一堂に会させる稀少な機会となることを一つの目論見として企画されたものでもある。それではまずシンポジウムの6人の登壇者による発表を順に概説しよう。
最初の発表、山上による「ゲームオーディオ研究文献データベースの作成報告/キーワード分析による研究動向の概観」は、シンポジウム全体の導入となるべく「ゲームオーディオ研究」の全体動向の概観を、文献データベースを対象にした量的分析によって示すものだった。既存の学術情報データベースや先行の書誌作成プロジェクトを元に構築された、1970年代から約40年間に発行された学術論文、書籍、研究発表予稿・報告等1100点超からなる欧文研究文献データベースに対して、タイトルに使用されてきた単語および付与されてきたキーワードの統計分析によって、この研究領域がどの様なテーマやトピックを巡って展開されてきたかが概観された。タイトル内の頻出ワートは「game」、「music」、「sound」など基本的に予測の範囲の語が並ぶが、「sound」や「audio」ではなく何よりも「music」が研究者の関心対象であったことが数値によって明確に示されたのは興味深い。またこれらの語を除くと「play」や「design」の語が上位にあがり、音楽が単体ではなくゲームプレイとの関係や音響のデザインという観点から論じられていることが窺われる。一方、キーワードのトップにはこのジャンルの専門用語である「dynamic music」(可変的な音楽)が上がり、ゲームオーディオの数ある特性の中でも、特にゲームに実装される「不確定性の音楽」を巡って多くの議論がなされてきたことが明らかとなった。またキーワードについては5年スパンでの共起頻度分析の結果と頻出ワードのリストとによって主要な研究テーマの時代ごとの変遷も示された。
最後には参考として日本国内で出版されたゲームオーディオ(ゲーム音楽)関連書籍、及び研究論文等をリストアップした邦文文献データベースを対象としたタイトル分析とキーワード分析の結果が紹介され、先のデータとの比較から、日本では音楽学及び人文系の研究に対して開発・工学系研究のプレゼンスが高い傾向が浮き彫りにされた。
二つ目の発表は音楽学とデジタルゲームの感性学を専門とする吉田寛氏による「ゲーム音楽研究の現状」である。かつて立命館大学ではゲーム研究センターの設立に関わり、現在は東京大学ゲーム研究室を主催する吉田氏は、「ゲーム研究」というより広いコンテクスの見取り図を示した上で、その中における「音楽研究」の一つの流れを示して見せた。2003年のA. シュトックブルガーによる「聴覚的観点からみたゲーム環境」4から、2011年のK.イェルゲンセンによる「新用語の出番?コンピュータゲームにおけるダイエジェティック・サウンドとノン-ダイエジェティック・サウンド再考」5に至るまでの人文系理論研究の重要文献がリストアップされ、また「ゲーム音楽研究に影響を与えた」研究分野として、特に文学研究(物語論)と映画研究がピックアップされた。こうすることで吉田氏がスポットを当てたのは文芸理論からフィルムオーディオ研究を経由してゲームオーディオ研究にもたらされた「ダイエジェティック」(物語世界内の)/「非ダイエジェティック」(物語世界外の)という音響区分概念の影響の大きさと、その枠組みをよりゲームならではの特質に基づいて乗り越えていこうとした議論の歴史である。吉田氏は「ゲーム音楽研究のキーワード」紹介においても、これらの語を取り上げると共に、この区分に替わる(あるいは補完する)新たな観点としてK. コリンズによって提唱されたダイナミック・オーディオ(可変的な音響)の分類項6――「インタラクティブ・サウンド」(プレイヤーの入力に直接反応する音響)と「アダプティブ・サウンド」(ゲームの状況に応じる音響)――を解説し、この研究史の流れを示して見せた。それはまた、先の山上の発表で量的分析からあぶり出された研究のキータームについて、質的アプローチから補足する役割を果たすものだったと言えよう。また吉田氏は「日本語でのゲーム音楽研究」として、この日の他の登壇者の著作を紹介することで、以降の発表へと橋渡しを行なった。
続いて三番目の発表は、フリーランスのゲーム音楽ライターでゲーム史・ゲーム音楽史研究家の田中”hally”治久氏による「『ゲーム音楽はどこから来たのか』はどこから来たのか──ゲーム音楽ライターの視点から」であった。タイトルにある『ゲーム音楽はどこから来たのか』とは、先の吉田氏の発表で紹介された日本語で読める「ゲーム音楽研究」の貴重な一冊であり、またその最新のものでもある7。hally氏の発表の前半は、氏の著作をはじめ一般に流通している「ゲーム音楽(or サウンド)」を巡る批評的言説の生産の現場についての分析と報告であった。hally氏は、「産業規模」「音楽性」「市場」「コミュニティ」という4つの観点から「ゲーム音楽」自体は十分に語るに値するものと考えるが、一方で「ゲーム音楽」専門のライターは職業として未だ確立していないと述べる。そしてその要因の一つとして、「ゲーム音楽」の評価基準というものが、個々人のゲームプレイ体験に強く依存し勝ちであり、一般的にある程度の客観性が求められる批評的語りとの折り合いが難しいという点が指摘された。これは単純に今までの「ゲーム音楽語り」が「音楽外の」不純な要素を含んで来たということではなく、プレイヤーが単なる聴取者ではなく、演奏者や作曲者にも比せられる能動的な関わりを求められる「ゲーム音楽」というものの本質に関わる深い問題である。hally氏はこの「ゲーム音楽」体験の(そしてその「語り」の)「自分事化」が何故、どのように起こるのか、というのが前掲の近著の問題意識の一つであったことを述べ、発表後半は当書の章毎の概説が行われた。報告者の私見だが、氏の著作は長年に亘る「ゲーム音楽」関係者からの聞き込みと丹念な一次資料調査に基づく信頼できる歴史記述と、そこから導かれる説得力のある考察や問題提起とによって、他に類書を見ないユニークな価値を有していると言える。研究書の体裁を取らず、また純粋な歴史書でもないが、ゲームスタディーズ以前の遊戯史から最新のゲームオーディオ研究までを踏まえた上で、氏の「ゲーム音楽」観が語られる非常に刺激的なものとなっている。特に今回のシンポジウムのテーマに関連しては、日本国内の「ゲーム音楽」を巡る批評的言説がどのように育ってきたのかを、歴史的に記述した最も早い試みとして特筆出来る。今後もこの分野の研究の進展には氏のような在野の研究者とアカデミア内部との密接な協力が必要不可欠であろう。
小休憩を挟んだのち、シンポジウム後半の最初の発表は一転して理系的アプローチによるゲームオーディオ研究の現状が伝えられた。「ゲーム音楽と没入の心理学」というタイトルで発表を行った鈴木和馬氏は東京藝術大学音楽研究科の音楽音響創造領域において「ゲーム音楽」がゲームへの没入に与える影響についての実験心理学研究で修士号を取得したばかりの新進気鋭の若手研究者である。発表では、心理学において「ゲーム音楽」の「効果」の検証の為に何が行われているのか、何が課題なのかといった分野全体の動向が、鈴木氏自身も修論研究で取り扱った「没入感」(Immersion)を巡る実践を例に説明された。鈴木氏が関心を持つのは、ゲームに適応的に変化する音楽の実装がゲーム体験をよりポジティヴなものにするのかどうかという問題であるが、その解明に向けて一体何を測るのか、というのは最初の大きな難問である。例えばゲームの成績(スコア等)はその指標としては不適切である。なぜなら「音楽」がゲーム体験をより良い/楽しいものに変えたとして、その結果はスコアを上げることも下げることも想定できるからである。今回のテーマである「没入感」(砕けた言葉で言えばゲームに「のめり込んでいる感覚」)は、この観点から選ばれた、ゲームジャンルやプレイヤーの得手不得手にも左右されない優れた指標であるという。それでは一体どのようにしてこの指標を測るのか?鈴木氏は心理学の客観的測定法には大きく分けて「行動的手法」と「生理心理学的手法」(血圧、脳波等の生理的データの計測)があるとするが、発表では氏自身も採用した前者の手法から「タスク切り替え課題」と「阻害刺激の記憶課題」という具体例が示された。これらは何れもゲームプレイの最中に突然関係の無い課題や視聴覚刺激を挟み込み、課題の成績や視聴覚刺激の記憶定着が悪ければ悪いほど没入度が高かったと判断するものである。鈴木氏は実証的アプローチの利点を音楽がプレイ体験に及ぼす効果の有無を単に「客観的に」示し得るだけでなく、その「程度」を数量化出来る点に見出し、これによって「いまだ属人的で主観的な要素が強い」ゲームのサウンドデザインに対してより客観的な――例えば近年注目を集める応用技術分野である感性工学の様な――アプローチが可能となることに期待する。一方で氏は、実験研究では結果として量的な相違が明確となっても、それが「なぜか」はわからないことが多い、あるいは、音楽がプレイ体験に影響を与えるという結果が出たとして、それが「なぜか」をデータと整合的な形で説明できる合理的論理的説明モデルがないことが多いと言い、そこに人文系理論研究との有意義な協働の可能性を見る。鈴木氏自身、修論研究で既に文理に跨る先行研究を踏まえたインタラクションの定義論にまで突っ込んでおり、今後この分野の文理融合アプローチをけん引して行くような研究の進展も期待できよう。(後編へ続く)