(東京:春秋社、2024年10月31日、432頁、¥3,600+税、ISBN9784393932377)
小島 広之
すでに広く紹介されてきた作曲家について伝記を執筆することは、決して容易ではない。ともすれば、新しさを〈演出〉しようとするあまり、瑣末な出来事や奇を衒った楽曲解釈の提示に傾いてしまう危険さえある。だが、ディアガーテンによる新しいブルックナー伝は、そうした手法とは一線を画している。大作曲家の生涯を年代順に丹念にたどるという正攻法によって、新鮮な作曲家像を提示することに成功しているのだ。
本書の意義は明快である。従来のプログラムノートや伝記、あるいは音楽愛好家の会話に「生き残って」きたブルックナーに関する「インパクトの強い決まり文句や逸話」を、近年の研究に照らし合わせて検証することで、「学術研究におけるブルックナー像と一般的なそれとの溝」を埋める(pp.5-7)。このために著者は、ブルックナーの生涯を文化史的なコンテクストのなかで読み解くことに力点を置く。雑誌や新聞といった同時代の資料、ブルックナーの周辺で交わされた膨大な書簡はもちろん、ブルックナー研究の枠を超えた文献も手がかりにして、「ブルックナーの音楽が、いかに彼が生きていた世界に組み込まれ、いかにそのコンテクストの中で理解されうるものなのか」が探求される(p.12)。その方法は精密でありながらも俯瞰的であり、初期の伝記作家が施したような脚色を頼ることなく、この作曲家の自然かつ魅力的な姿を説得力をもって浮かび上がらせている。
例を挙げれば、ブルックナーと宗教の関係について従来的な偏見が刷新される。はたして彼は「神の楽師」を自負する「素朴な田舎者」・「不器用な変わり者」であり、彼の交響曲には宗教的な内容が込められているのだろうか(pp.7-10)。実際、彼は、「幼い頃から教会や聖職者の近くで暮らしていたし、生涯にわたってカトリック教徒であることを公言して、定期的にミサや告解に足を運び、律儀に四旬節の斎戒を守」る敬虔な人物だった。これに対して著者は、この宗教性が「世俗的でリベラルな大都市ウィーンとの対比においてはじめて異質なものとして浮き立ってきた」ことを指摘する(pp.27-28)。たとえば「文化的プロテスタントのブラームス」の目には、ブルックナーは「ザンクト・フローリアンの聖職者ども」に毒された「哀れで頭のおかしな」「田舎育ちの無教養なカトリック教徒」に映っていた。こうしたイメージが、時に面白おかしく、時に党派性を伴って強調されてきたのである。しかし、ブルックナーが関わっていたザンクト・フローリアンの聖職者たちの中には、たとえば修道院長代理ミヒャエル・アルネートのように超宗派的な視座を持つ教養人も少なくなかったことが明らかにされると、こうした偏見は修正を迫られることになる(pp.40-46)。本書は、ブルックナーが盲目的に信仰に傾倒していたわけではなく、むしろ世俗的な渡世に何よりも重点を置いていたことを示しているだろう。たしかに《交響曲第2番》などは自作の《へ短調ミサ曲》からの直接的引用を含むため「宗教的な含意」を連想させる。だが、その一方で彼は、この交響曲の上演を「市民の音楽文化の殿堂たる楽友協会」で行いながら、ウィーン万博の閉会式と半ば強引に結びつけた事実が明らかにされる。こうした背景を踏まえ、「神聖さを感じさせる響きは、あくまで数ある曲調のうちのひとつにすぎない」という解釈が導き出される(pp.201-202)。ブルックナーは、時に委嘱によって宗教作品を書いたが、基本的に世俗的な成功を一貫して目指していた。本書からは、特にウィーン大学でのポストの獲得とウィーン・フィルハーモニーによる交響曲の上演に関して、なりふり構わず根回しを行うブルックナーの姿がありありと見えてくる。とりわけ、ウィーン大学に常設の音楽理論講座の設立を訴え、あまつさえそのポストに幾度も自己推薦を行ったという事実からは、彼の出世欲の強さが如実にうかがえる(pp.250-256)。一方で、打算には向かない愛嬌も随所に見られる。たとえば《交響曲第3番》をワーグナーに献呈する際には、ブルックナーは「招待もされないまま」バイロイトの書斎に押しかけ、ビールを鯨飲、そして酩酊、結果的に献呈を認められた作品が《第2番》だったのか《第3番》だったのかを忘れてしまうという人間らしさ(pp.212-14)。このあたりのチグハグさが、数々の真贋不明な逸話を生む温床になっていたのだろう。
このようにして本書では、ブルックナー像をかたちづくる様々なトピックが掘り下げられる(宗教に限らず、たとえば「女性たち」(p.57ff)、「絶対音楽vs標題音楽」への態度(p.233ff)、政治(p.271ff)など)。ただし、これらの主題は、前面に押し出されることはなく、あくまで作品の成立過程をめぐる記述のなかに自然に組み込まれている。本書は、特定のトピックに深入りすることで逸話の〈脱色〉に汲々とすることはない。あくまで王道の伝記である。
訳者の池上健一郎は、ヴュルツブルク大学での博士論文審査でディアガーテンの面識を得ており、両者は原著刊行前から連絡を取り合っていたという。それゆえ原著出版からわずか1年というスピードで翻訳が実現し、邦訳版の出版はブルックナー生誕200年にあたる2024年という記念すべき年を大いに祝うことになった。このように翻訳は迅速に行われたが、同時にきわめて高い質を持っており、読み進めるうちに本書が訳本であることを忘れてしまうほどであった。
(こじま ひろゆき/東日本支部)