プロジェクトの概要とこれまでの成果
ハーバード大学音楽学部教授、アメリカ音楽史を専門とするキャロル・オージャ氏(Carol J. Oja)と音楽文化史を研究する筆者、大田美佐子の国際共同研究のプロジェクトは、2017年に始動した。
その特徴は、音楽文化史のフィールドを「トランスナショナルな対話を育む場」と捉える点にある。これが従来一人の研究者により行われてきた「トランスナショナル・ヒストリー」1の研究と異なるのは、本プロジェクトではバックグラウンドの異なる複数の共同研究者との「対話」を通して音楽の営みを「トランスナショナルに、国境を超えて捉え直す」プロセスが肝要であるという点だ。具体的な共同研究のプロセスとしては、テーマを共有するだけにとどまらず、一次資料、参考資料など、お互いのすべての資料を共有し、それぞれの解釈を交換し、対話して議論を深め、構成について議論し、一編の共著論文へと編み上げていく。このような研究手法により、勝者と敗者で立場が分断される戦時期や占領期などの音楽文化交流史の再評価を多角的に行い、従来の音楽史・音楽文化史研究に新たな視点とインパクトを与えることも可能ではないだろうか、と考える。
共同研究の成果としては、2019年に専門誌American Musicにおいて、国際共著論文“Marian Anderson’s 1953 Concert Tour of Japan: A Transnational History”(邦題:「マリアン・アンダーソンの1953年の日本ツアー − トランスナショナル・ヒストリー」) を発表した。論文は、Ojaと大田の二人と共に、執筆当時ハーバード大学の博士課程の学生であったKatie Callamとプロコフィエフ研究で博士号を取得し、神戸大学の研究員であった木本麻希子との四人で執筆した。本論文は2021年に、全米第2の規模のアメリカ音楽学会(Society for American Music)から、ローウェンス年間最優秀論文賞を授与された。その受賞理由では「国際的な研究者チームによって、協働的かつ革新的な異文化相互のアプローチで研究された。文化や政治的なコンテクストの違いによって、人種、音楽、人権などについて、太平洋を挟んだ両サイドから、多角的な問題が浮かびあがった」と評価された。研究プロセスにも手応えを感じて共同研究は継続され、2021年には人文学分野の新たな試みとして、全11編が共著論文で構成されたミシガン大学出版刊行のSounding Togetherプロジェクトに、占領期最初期のアメリカと日本の音楽交流をテーマにしたOjaと大田の共著論文 “US Concert Music and Cultural Reorientation during the Occupation of Japan” が収録された。また、2025年1月には神戸大学で、音楽学と演劇学を越境する国際シンポジウム「Music Theatre Studies ― Transnational History」が開催され、プロジェクト代表の大田とOjaのほか、日本からは音楽学の能登原由美(大阪音楽大学)、演劇学の田中里奈(京都産業大学)、アメリカからは、ニューヨーク市立大学名誉教授でミュージカル研究者David Savran、ラトガーズ大学の音楽文化史研究者、Nancy Yunhwa Rao教授が登壇し、「トランスナショナル・ヒストリー」をテーマに学術交流が行われた2。
プロジェクトの背景― ハーバード大学での在外研究
本プロジェクトの契機は、大田の2013–2014年のハーバード大学での在外研究に始まった。「亡命芸術家」としてのクルト・ヴァイルの研究を進めていた大田は、ウィーン大学での研究の後、ヴァイルのアメリカ亡命後の創作活動の研究を進めるうえで岐路に立っていたため、ハーバード大学の Oja 教授の大学院ゼミ「アメリカ音楽史の古典を読む」に参加した。このゼミでは亡命芸術家たちのアメリカでの創作活動や受容を理解するうえでも重要な知識と観点を得ることができた。Oja 教授は20世紀初頭のアメリカ音楽界を俯瞰して描き高く評価されたMaking Music Modern: New York in the 1920s (2000)の著者であり、三度にわたりASCAP Deems Taylor賞を受賞し、2019年にはアメリカ芸術科学アカデミー(American Academy of Arts and Sciences)の会員に選出されるなど、アメリカの音楽学を包摂的なものにする高い志を持ち、牽引してきた研究者である。そのゼミではギリシャ、イスラエル、ウガンダ、メキシコなど多様な出自の受講生たちが活発に議論し、エネルギーに満ち溢れていたのが印象的であった。
ハーバード大学では、授業のあり方や恵まれた研究環境を支える運営のあり方にも大きな刺激を得たが、音楽文化史の研究を通してOja教授が問いかける社会的正義やマイノリティーへの配慮と実践、具体的にはブロードウェイでも活躍したソノ・オーサトの登場の歴史的インパクトについてなど、ぜひ日本の学術研究者や学生にも聞いてほしいと感じた。特に感銘を受けたのは、Oja教授の越境に対して寛容で包摂的な開かれた姿勢であり、彼女に対して大学や学会での世代を超えた学者からの信頼の厚さもとても印象的だった。
日本学術振興会によるキャロル・オージャ教授の招聘
日本学術振興会(JSPS)の助成により、2017年1月に17日間、初来日となるOja教授を招聘する機会を得た。日本滞在中は、神戸大学をはじめ、日本音楽学会西日本支部(同志社女子大学)、東日本支部(青山学院大学)、アルバン・ベルク協会、東京藝術大学などでの講演、また宝塚歌劇場、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団、歌舞伎など様々な日本の舞台鑑賞を通して、日本のアメリカ音楽史の研究者たちや舞台関係者らとも国境を超えた対話の機会を持った。これが後に、本プロジェクトにも重要な文化の相互理解として、大きな意味を持つことになる。当時、バーンスタインのミュージカル《On the Town》がブロードウェイで再演される好機に、オックスフォード大学出版から Oja 教授の著作Bernstein Meets Broadway: Collaborative Art in a Time of War(2014)が刊行されたことから日本で選ばれた講演のテーマは、初演で主役を演じた日系アメリカ人のダンサー、ソノ・オーサトと、アフリカ系アメリカ人のコントラアルト歌手、マリアン・アンダーソンの活動における人種差別の問題についてであり、それはジェンダーや人種の差別下に生きた女性アーティストたちの声なき声を可視化する内容であった。このようにアメリカ音楽史の研究者として、クラシック音楽、現代音楽、ミュージカルをシームレスに越境して研究するOja教授を日本の音楽学会に招聘したことの意味は、日本の音楽学や演劇学の展開を考えるうえでも示唆深かったと感じている。
アンダーソン・プロジェクト始動とトランスナショナル・ヒストリーの研究
Oja教授の日本での講演を契機に、マリアン・アンダーソンのプロジェクトが始動した。日本側の史料で調べていくと、アンダーソンはアフリカ系アメリカ人として初めて「御前演奏」をした演奏家であり、1953年にはひと月に渡り来日してツアーをしていたことがわかった。戦争や占領という分断された時代の研究は、往々にして、向き合う史料が異なることで異なる見解が出てくるものなので、なるべく多くの史料を共有しながら、解釈も共有し、対話し、マリアン・アンダーソンの経験した日本、そしてその背後にある歴史を共に描くという挑戦であった。たとえば、日本の地方紙や20世紀の公民権運動前のアフリカ系アメリカ人のメディアは、まだ国外からはアクセスができない資料である。マリアン・アンダーソンの足跡に関する史料は、ペンシルベニア大学の膨大なアーカイブに遺されており、日本でのNHKや宮内庁の史料をつきあわせることによって様々なことが明らかになっていった。日本側でアンダーソンの来日に際してどのような議論があったのか、アメリカではどのような報道がされたのか、という点についても、資料を解釈するうえで、それぞれが持ち寄るコンテクストが多角的な視点を開いていったことが重要であった。また、マリアン・アンダーソンの1953年の日比谷公会堂のコンサートを実際に聴いたというボストン在住のピーター・グリリ氏にインタビューするなど、渡米した際に共著者で一緒に行った作業もあり、またその際、音の資料から聴体験を共有したことが研究全体の方向性を議論するうえでも特に重要であったことを付け加えておきたい。2017年6月から月一度のスカイプ会議で共有したドキュメントの議論と対話を深め、論文の執筆を進めた後、最終的にはハーバード大学ライシャワー日本研究所の助成を得て、2018年2月に10日間、共著者の4人がハーバード大学のあるケンブリッジに集結して書き上げることができた。
本論文で浮かび上がってきた事実は多数あるが、特に示唆深かったのは、評論家、吉田秀和によるマリアン・アンダーソン評の他の批評に比して特異な位置である。吉田はアンダーソンの表現がクラシック音楽の本流からは外れているかもしれないと指摘しつつ、その個性を「雑味」として評価し、特に「非西洋人がクラシック音楽にアプローチするひとつの可能性になっていくかもしれない」との見解を示していた。また、アメリカの音楽文化史にとって特に重要な点は、マリアン・アンダーソンがその時代にはアメリカでは差別を受ける側だったにもかかわらず、日本には「合衆国のデモクラシーの代表」として派遣されていたという二重性であった。
これらの事実は、音楽史、音楽文化史を対話によって「トランスナショナル」に捉え直すことを通じてこそ得られた知見でもあり、本論文の重要な存在意義でもある。この共同研究の可能性に目覚め、第二弾として占領軍、GHQの「CIE」(民間情報教育局)についての研究を継続することになった。
分断の危機と人文学におけるコラボレーションの可能性
最後に、このブロジェクトの意義と可能性の一端に触れておきたい。
この研究の動機となったのは、散歩の時に何気なく交わしたOja教授と大田のお互いの家族の戦争体験を共有した会話であった。戦争など、分断された記憶は互いの情報源が違い、感情的な蟠りを生む場合もある。昨今の報道にもみられるように、戦争の記憶の多くは世代を超えて、未来をも分断していってしまう。互いの史料を共有して対話を育むことができれば、学術論文を書くプロセスを通じて歴史や文化への「相互理解」を深めることも可能である。願わくば、このような「対話を育む」音楽文化史研究の輪が、世代を超えて広がっていけば素晴らしいと考えている。
そのような研究プロジェクトのプロセス全体を可能にしたものは、研究者個々人の「研究」に対する開かれ方であったと気づいた。史料の意味を把握し、積極的に対話し、客観性を意識し、さまざまなアプローチの意見を検討して考察する、というプロセスは、学術的、かつ人間的な信頼に基づき、他者から学び、対話する喜びを与えてくれた。
目下、報道では、アメリカのトランプ政権はハーバード大学に対する対立を深め、自国の「国益」に照らして海外からの留学の可否を決めるという。本プロジェクトを側面から常に支援し、可能にしてくれたハーバード大学の研究環境に感謝しつつ、過酷な現在の状況に対する懸念を表明したい。対話を育む学術研究が引き続き世界の分断を理性的漸進的に解決する一つの重要な手段であることをここに強調し、希望を持ち続け、引き続き本プロジェクトでも進行形として内外の研究者たちと協働していきたいと思っている。
(おおた みさこ/西日本支部)