(東京:音楽之友社、2025年5月31日、144頁、¥3,000+税、ISBN:9784276140134)
本年は、天才の名をほしいままにした20世紀を代表するバリトン歌手、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)の生誕百年の年である。没後13年が経った今もなお、声楽家のみならず、クラシック音楽に携わる、あるいはクラシック音楽を愛する多くの人々にとって、彼はアクチュアルな歌手ではないだろうか。彼について書かれた数多の著作や評伝、そして膨大な録音や映像が世に溢れ、その功績が語り継がれていることからも明らかだろう。
そのような状況の中で、本書がまず目指そうとすることは、これまであまり語られてこなかった「教師としてのフィッシャー=ディースカウ」を描き出すことである。レッスンの場で彼が何を語り、何を求めていたのか。言葉の一つ一つの音色やニュアンスをどう感じ、フレーズをどうとらえ、楽譜から何を読み取っていたのか。数々のエピソードを通じて、舞台上の姿からは想像しにくい、人間味あふれる「生身の先生」の姿を浮き彫りにした。
こうした現場のドキュメントは、客観的なレポートにとどまらず、駆け出しのピアニストであった筆者自身の間近な体験として描いている。それゆえ、独特の臨場感を醸し出せているならば幸いである。この小さなメモワールは、一種の音楽修行奮闘記として、1990年代のドイツの雰囲気を感じながらお読みいただくこともできるかもしれない。
本書が目指そうとするもうひとつの大きな柱は、フィッシャー=ディースカウ氏の魅力を語るに留まらず、彼の言葉、そして筆者の言葉を通じて、リート芸術の楽しさ、面白さ、奥深さを伝えることである。
そのために、本書で取り上げた作品については、作品自体の魅力と、リート演奏におけるアンサンブルの魅力が伝わるよう工夫した。リート芸術はとかく一部の人々のものと思われがちだが、そうではない。作品そのもの、そして歌手とピアニストによるアンサンブルの「現場」が、いかに面白いものかを感じていただくきっかけに本書がなれるならば、筆者の願いは叶えられたことになる。
例えば、ヴォルフの歌曲で登場する陳腐なメロドラマのような〈かわいい恋人を失ってしまった男は〉(詩・スペイン歌曲集)ではくすりと笑い、メーリケの詩による〈別れ〉のドタバタ劇には、痛快な高笑いを疑似体験し、リートのふり幅の大きさを実感していただけるだろう。
また、シューベルト《美しき水車小屋の娘》Op.25の第6曲〈知りたがり屋〉では、子音の発語のタイミングによっていかに表情豊かになるかを実感し、そうした微細な部分に至るまで、ピアニストが何を考え、歌手といかに協働しているのかを垣間見ていただけるだろう。
本書をこのような体験型の書籍として楽しんでいただけたら、これ以上の喜びはない。
(こやす ゆかり/東日本支部)