創造者のイマジネーションが, 新技術を, その開発当初の意図から逸脱した方向へと操縦する, ということを確信させる事例が20世紀の作曲家には少なからずあった. これらの事例を辿ることは, 技術の歴史を追うことではなく, 実は音楽史記述のもうひとつのストーリーをたぐり寄せることにつながる. 20世紀最後の四半世紀, 電子音響音楽の展開は, まさに技術を語ることが音楽史を語ることに等しくなる状況だったわけだが, 技術上の開発や発明が連続的に語られているのに対し, 表現語法の開拓やスタイルの変遷を「音楽の歴史」として連続的に辿る議論は決して多くない.
ソルボンヌ大学名誉教授であるマルク・バティエMarc Battierの近著 『人工音の美学—電子音楽の誕生Esthétique du son artificiel—genèse des musiques électroniques』 (Paris: VRIN, 280頁, 2024年8月, 280頁, 30,00 €, ISBN 978-2-7116-3168-1)は, こうした技術開発にまつわる音楽表現の歴史に関してひとつのパースペクティブを開いた. 技術に媒介される人工音という概念が起こってからの100年を考えるにあたって, 「物質面とコンセプト面の両面でアプローチすべき道具である蓄音機を複合モデルとして設定する」(p. 241)ことによって一貫性を確保したのである.
本書は, 機械が人間環境の一部になった1920年代モダニズムのエズラ・パウンドやテオドール・ヴィーゼングルント・アドルノの発言から出発し, 電子音響音楽の現代作曲家である張小夫(1954–)やジョアン・ペドロ・オリヴェイラ(1959–)のライヴ・エレクトロニクス, ひいては遠隔地を高速通信で結ぶテレマティック音楽までを, 技術的・社会的・文化的環境への作曲家たちの創造的な関わりという視点から通史として論じている.
第一章は, まず, パウンドがジョージ・アンタイルを引きながら, 邁進する機械文化を崇め音楽の機械的リズムやサウンドから迸る感情を賛美したテキスト(1927)と, アドルノがアンブルッフ誌に発表した, 「音響の振動を捉える機械」(p. 8)によって録音・再生して, 音を鳴らしている状態を知らずに聴くという抽象性を論じたエッセイ(1928)を提示する. そしてそこから, マシンが存在している/存在しないに関わらず, 今日の先端通信に至るまで, 技術とともに人間が製作した「人工音」への音楽的・創造的アプローチを広範囲にわたって取りあげていく.
第二, 第三章では, 録音技術によって可能になった, 発音する場とは異なる時空間での聴取, 電話による音声の伝搬, ラジオによって生まれる送信・受信の概念, エリック・サティの《パラード》に現れる「未知の音響体と騒音」(p. 18)など, 音技術に掻き立てられたイマジネーションは, モホリ=ナジやギョーム・アポリネールらの言葉を介して人工音の思想系譜として書き綴れられる. あるいは, オンド・マルトノやテルミン等の電子楽器や, 世紀半ばに加わったラジオ, 発明楽器, 発音する物体, 波の伝搬といった概念や道具との関わりについて, フェルッチョ・ブゾーニやエドガー・ヴァレーズの音楽観が参照される. また, 隣人たちの姿にスクラッチ音などの人工音を付加したノーマン・マクラーレンのドキュメンタリーフィルム《隣人》(1952)や, 1970年代にヴィジュアルイメージから音響を発生させたヤニス・クセナキスのUPICシステム, クルト・ザックスとヒュー・ディヴィスによる電気楽器のカテゴリー分けなどが, 学問分野や芸術ジャンルを超えた多角的な視点でクローズアップされている.
最も多くのページが充てられた第四章では, 録音された音を客体化して現象学的に捉え直すピエール・シェフェールの音響思想や, ミュジック・コンクレートの初期に開発されたフォノジェンヌ, マルチトラック磁気録音再生機, 音の空間配置を観客の前で制御(パフォーマンス)するためのバランス・ポタンシオメータといったメカニカルな発明が, 騒音のオーケストレーションや新しい音芸術の命名と概念形成のプロセスとともに総合的に論じられている. そして, 1960年代以来の, 音響心理学, 言語学, メディア社会学等をはじめとする学際的広がりが, GRM(groupe de recheches musicales)での実践的ワークショップや理論研究を通してフランス現代文化の大きな資産となったことが, 流麗な語調で記述される.
第五章, 第六章では, Ircamのドキュメント部長として長く勤めた著者が, リアルタイムに体験した技術開発と新語法の誕生を, 現場中継のような臨場感をもって語る. ヘンリー・カウエルやジョン・ケージの実験音楽, コロンビア大学とプリンストン大学の電子音楽センターでの計算機応用, ブックラーやムーグのアナログシンセサイザーからMIDIの登場とデジタルシンセサイザーへの推移など, よく知られた事象も, 詳しいバックデータとともに提示されている. 実験工房とNHK電子音楽センターやアメリカでの外山道子の作品製作については, フランスの若手研究者による近年の博士論文が引用されており, 電子音楽を軸とする文化比較や異文化接触に関する最新の議論が読めることも本書の楽しさのひとつである.
第六章では, 20世紀後半に開拓された音楽テクノロジーの最も重要なテーマが音色研究であった, という認識が強調され, 音響合成の方式, 音声ファイルの呼び出し, ブロックを積み重ねるようなモジュール単位の構成, オッシレータの選択とサンプル計算等の技術が, 作曲家たちの創造的音色形成と相乗効果をもって展延していく例が示される. 代表的な作品として論じられるのが, ジャン・クロード・リセ(1938–2016)の《Mutation》(1969)とジョン・チャウニング(1934–)の《Stria》(1977)である. MUSIC-Nシリーズ, Csound, 4Xといった, 時代を画するプログラムに関連して, 音合成による「楽器」部分と, 音楽イベントを決定するための数値を伝える「スコア」の部分, それを時間軸上に配備させるSCOREのプログラム, 改良フルートで運指と音域をとおしてスコア上の位置を推測するスコアフォロウなどが, 開発エンジニアの個人名とともに記述され, エンジニアもクリエーターであることを改めて認識させる. ミラー・パケット(1959–)が完成したThe Patcher のウィンドウを持つMAXが, Ircamという組織の中で歴代のプログラマーやエンジニアの間で受け継がれ継続開発された成果であるという書き振りが, ことに印象深い.
本書全般で, 技術用語から一歩距離を置いた形での解説が提供されているので, 技術の詳細にはあまり関心のない読者も, システムの何が新規性であり, どのような音楽的アイデアと結ばれていたかを知ることができる. 出版社のYouTubeチャンネルにアップされた著者コメントの中でも, 本書は, 芸術家たちが扱う素材の変化とそれに対して創造的に対話するアイデアの歴史であることが述べられている.
(みずの みかこ/中部支部)