ポール・タファネル Paul Taffanel (1844–1908)は19世紀のフランス楽壇においてフルート奏者、パリ音楽院のフルート科教授、また作曲家、指揮者としても活躍し、大きな足跡を残した。筆者は、タファネルからカミーユ・サン゠サーンス Camille Saint-Saëns (1835–1921)に宛てた手紙全18通と、その内容に対応するサン゠サーンスの手紙4通を活字に起こし、注を施してフランス・フルート協会会報に発表した(Nakanishi 2025)1。サン゠サーンスとタファネルは古くからの友人であったが、タファネルは1886年の《動物の謝肉祭》の初演の際〈大きな鳥籠〉を演奏したことから分かるように、当時のフルート演奏の第一人者としてサン゠サーンスの信頼が篤かった。タファネルの娘、マリー゠カミーユ・サマラン Marie-Camille Samaran, née Taffanel (1882–1962)の名付け親になったこともその証左である。そして、タファネルが1890年に指揮活動を始めて以降は、サン゠サーンスの大規模な作品、特にオペラ作品の解釈における協働者となり、さらに信頼と友情をはぐくんだ。サン゠サーンスにとっては、グランド・オペラ(グラントペラ)で成功することが作曲家としての理想像であったが、それは彼の師であるアレヴィといった先輩世代のロールモデルに従ったからである。デュラン出版社のジャック・デュランは「マスネは偉大なシンフォニストになりたいと望み、サン゠サーンスは偉大な劇作曲家であることを望んだ。彼らは芸術的に嫉妬しあっていたが、これに関しては、そもそも全くの過ちを二人とも犯していた。というのも、彼らの音楽的気質の本性があまりにも違っていたため、異なる分野において傑作を制作せしめたのであるから」 (Durand 1925, 7) 2と述べている。
この論考においては、タファネルとサン゠サーンスの往復書簡より、サン゠サーンスのオペラに関する記述を紹介し、如何にタファネルがその上演に関わり、サン゠サーンスの作品の普及に貢献したかを明らかにする。
1.パリ、[1892年3]6月4日土曜日、サン゠サーンスからタファネル宛ての書簡より4
オペラ座へ君にお祝いを言いたくて行ったのに、留守だった! そして、君だけでなく、私の可愛い名付け娘とその美しい母上にもご挨拶せずに、明日スイスへ発ちます。でも、また戻ってきます。少なくともそう願っていますし、再び会うことになるでしょう! 悲しむべきは、君がフルートを吹くのをやめてしまうこと。君のように演奏できるものは二度と現れないでしょう。 ![]() |
サン゠サーンスがタファネルの演奏した印象的な旋律として書簡中で例に挙げたのは、歌劇《アスカニオ》の第1幕第4場のアリアのフルート・ソロであった。タファネルは1890年1月にオペラ座の第3指揮者に任命されたが、第1フルート奏者と兼務であり、その年を最後にフルート奏者のポストを退いた。そして《アスカニオ》は同年3月21日にオペラ座で初演されたのであった。また、第3幕のバレエ音楽におけるフルート・ソロも評判を呼び、初演の2か月後にはフルート独奏用に抜粋された楽譜が「P. タファネルによって演奏された」と明記して出版されるほどであった。ちなみに、サン゠サーンスは1888年の年の暮れに母を亡くし、そのショックで精神的危機を迎え、当時はパリから逃れるように正体を隠してカナリア諸島に隠棲していたため、初演に立ち会っておらず、1890年9月19日の再演において聴いたと考えられる。そして、それがサン゠サーンスが耳にした最初で最後のオペラ座でのタファネルによるこの旋律の演奏であった。
2.パリ、1895年8月7日、タファネルからサン゠サーンス宛ての書簡より
君の新奇な4分の12拍子に私は怖がりません。私ならこんな風に指揮します……「五角形で」!これは君をびっくりさせる!そうでしょう?私の発明をダルクール5が盗まないように特許を取得します。![]() |
この4分の12拍子とは、歌劇《フレデゴンド》の第3幕のバレエの第3曲目の前半が、3拍子、2拍子、2拍子、3拍子、2拍子の5小節で1セットとなっていることを指している。1892年にエルネスト・ギローが亡くなり、歌劇《ブルンヒルド》が未完のまま残された。その台本はサン゠サーンスの長年の友人であったルイ・ガレによって書かれており、サン゠サーンスにも作曲の話があったが、病気のため辞退してギローが引き受けたという経緯がある。この作品がお蔵入りになることを惜しんだサン゠サーンスは、1895年に自ら補筆して完成させ《フレデゴンド》と改題した。歌劇《フレデゴンド》は1895年12月18日、オペラ座でタファネルの指揮により初演されたことから、この手紙が書かれたのは、タファネルが同作品の譜読みを始めていた時期であると考えられる。タファネルは1893年7月にオペラ座の第1指揮者に就任していた。
3.パリ、1902年11月30日、タファネルからサン゠サーンス宛ての書簡より
《野蛮人》を指揮できなくなった原因である、ひどい体調不良からようやく回復しました。[……] 君の意見を書き留めるために《ヘンリー8世》の分厚い楽譜を持参して、そのうち君に会いに行けるとよいのですが。 |
歌劇《野蛮人》は1901年10月23日にタファネルの指揮によりオペラ座で初演されたが、全幕を通しで上演した記録としては、1902年12月15日の28回目の上演が最後となっている。
4.パリ、[1903年5月6]20日水曜日、タファネルからサン゠サーンス宛ての書簡より
また、《ヘンリー8世》が大成功を収めたことにどれほど嬉しかったか、そしてそのパリでの再演に協力できたことをどれほど誇りに思っているかを君にお伝えしたいと思います。 |
歌劇《ヘンリー8世》は1883年3月5日にオペラ座で初演されたが、1903年5月18日のパリでの再演をタファネルが指揮した。書簡3に出てくる、《ヘンリー8世》に関する面会の話も、この上演に向けた準備であったと考えられる。
5.パリ、1905年1月20日、タファネルからサン゠サーンス宛ての書簡より
昨年、君は僕にこう言いました。「そのうち聴くことになるでしょうが、私にとってこれは今までの中で最高の出来栄えです」。それは本当でした。昨晩、私はうっとりと魅了され、パラスのシーンには鳥肌が立ちました! そして、この喜びの中、私が[このオペラを指揮する]君の協働者でなかったことに苦しみました……。なんと残念なことでしょう! |
歌劇《エレーヌ》は1904年2月18日にモンテカルロ歌劇場で初演され、パリでは1905年1月18日にアレクサンドル・ルイジーニの指揮によりオペラ゠コミック座で初演された。タファネルがサン゠サーンスのオペラを指揮できずに残念がっているのは、書簡4での《ヘンリー8世》再演以降、その機会がなかったからであり、この頃すでに健康を害していたタファネルは復調することなく1908年に亡くなった。
このように、サン゠サーンスのオペラ作品の上演に当たり、オペラ座管弦楽団の第1フルート奏者として、またオペラ座の第1指揮者としてタファネルが深く関わってきたことがタファネルとサン゠サーンスの書簡を通して分かる。現在においてもなお、サン゠サーンスの作品で演奏されるのは一部の人気曲にとどまり、氷山の一角でしかない。その海面下の大部分の忘れ去られた作品の中でも、《サムソンとデリラ》以外のオペラ11曲とエルネスト・ギローの作品を補筆完成させた《フレデゴンド》は、質、量ともに大変重要である。これらのオペラ作品は2021年の没後100周年を機に少しずつ演奏され、録音されるようになってきたものの、世界各地の歌劇場のレパートリーに定着しているとはとても言い難い状況である。とはいえ、サン゠サーンスが自身の創作人生を通して多くの情熱を傾けてきたオペラ作品を知ることなしに、彼の作品の全貌や本質を掴むことは不可能であるから、この論考がサン゠サーンス作品の理解への一助になれば幸いである。
(なかにし みつや/東日本支部)
1 この論考は、一部の日付や作品名で不明であったものを特定した補遺である。
2 訳は筆者による。
3 《アスカニオ》初演の1890年以降かつ6月4日が土曜日になる年の中で、6月にスイス旅行をした記録から特定。
4 フランス国立図書館所蔵、それ以外の書簡はディエップ市立メディアテック・ルノワール所蔵。
5 指揮者、ウジェーヌ・ダルクール Eugène d’Harcourt (1859–1918)のことと考えられる。
6 タファネル指揮の《ヘンリー8世》パリ再演の直後で20日が水曜日になることから特定。
主要参考文献
Lettres de Paul Taffanel destinées à Camille Saint-Saëns. Médiathèque Jean Renoir de Dieppe: Fonds Saint-Saëns, sans cote.
Lettres de Camille Saint-Saëns destinées à Paul Taffanel. Bibliothèque nationale de France: Fonds Paul Taffanel, NLA-415 (219).
井上さつき 2024 『フランス・フルート奏者列伝――ヴェルサイユの音楽家たちからモイーズまで』 東京:音楽之友社
Blakeman, Edward. 1982. “The Correspondence of Camille Saint-Saëns and Paul Taffanel, 1880–1906.” Music & Letters 63, no. 1/2: 44–58.
———. 2005. Taffanel: Genius of the Flute. New York: Oxford University Press.
Bonnerot, Jean. 1922. C. Saint-Saëns: Sa vie et son œuvre. Paris: Durand.
Durand, Jacques. 1925. Quelques souvenirs d’un éditeur de musique, 2e série. Paris: Durand. [デュラン、ジャック 1931 『仏蘭西音楽夜話』 小松清(訳) 東京:春陽堂]
Nakanishi, Mitsuya. 2025. “Lettres de Taffanel à Saint-Saëns.” Traversières Magazine: La Revue officielle de l’Association Française de la Flûte 152: 6–13.
Ratner, Sabina Teller. 2012. Camille Saint-Saëns 1835–1921: A Thematic Catalogue of his Complete Works, Volume II. New York: Oxford University Press.