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  • 書評

Books:井上さつき著 『万博からみた音楽史』

(東京:中央公論新社, 2025 年2月 21日, 336 頁, ¥980+税, ISBN978-4-12-207615-0)

倉脇 雅子

 2025年4月に開幕した大阪・関西万博では「一万人の第九」が演奏された。最新技術が野外演奏を支えたことで音の遅延は殆どなかったといわれる。19世紀の大規模演奏会では成し得なかった夢の実現である。あるいは, この第九の演奏について, 1918年の徳島県板東俘虜収容所での日本における第九初演に想いを馳せることや, 1983年の初演以来, 42年間続く「一万人の第九」自体に, 大阪・関西における第九受容をみることもできるだろう。

 こうした万博と音楽の関係について, 著者自身の1970年大阪万博の体験にはじまり, 長年にわたる「フランス近代音楽史研究, 万博研究, 日本の洋楽器製造史」研究において多くの功績をもつ著者とともに, 「万博というレンズを通すことで新たに見えてくる音楽史の側面をたどる」ことが本書のねらいである。一般書の側面に配慮した軽快なテンポよく紡ぎだされる記述は, 万博関連の公式文書, 定期刊行物, 各種資料の研究成果に基づいている。

 本書は, 各国の万博を時代順に配した全10章から成る。「まえがき」のとおり, 「19世紀半ばから20世紀前半までの万博の主要開催国であり続けた」フランス(パリ)開催に, 第2章から第8章(第6章を除く)までの6章が充てられており, 「音楽史にとって重要なその他の万博」として, 第1章(イギリス), 第6章(アメリカ), 第9章(ベルギー), 第10章(日本)が選ばれている。

 第1章(1851年ロンドン博)では, 第1回ロンドン博と現在の万博の枠組みにかんする共通点が見出される。たとえば, 期間は約半年間であり, 広大な敷地に意匠を凝らした主会場や仮設のパビリオンが建設される点, 大規模な奏楽を伴う開会・閉会式, 会期終了後には万博関連の公共文化・福祉事業等が実施される点である。この一方で, 産業博としての主要イベントである製品審査・褒賞授与制度は20世紀後半にその役目を終えた(295)。ここでの楽器展示において, ピアノの製造技術が「近代産業のバロメーター」であった当時の状況および, その後のメーカー各社の競争については, 第1章以降の各章で取り上げられており, 欧米の楽器産業の動向や市場変化を知ることができる。1855年から1937年までのフランス博についての各章は, 音楽面を中心とするフランス博の通史であるとともに, 本書の大梁として重要である。通史的にみると, フランス国内においては第2帝政, 第3共和政をまたぐその時々の国政を, 国外においては帝国・植民地主義, 戦間期の外交問題を反映している。特に1900年までに開催された13回の万博(博覧会国際事務局(以下, BIE)Webサイトによる)のうち, フランスはパリ一都市で5回開催しており, 「エクスポジション・ユニヴェルセル」の国内外への影響力がみてとれる。1855年以来パリ博では, 産業と芸術の展示を特色として, 儀式での奏楽, 記念演奏会, オルフェオンの大合唱祭が開催された(第2章)。公式には1867年万博において「音楽の展示」が法令として施行され(第3章), 1889年の万博では音楽プログラムの慣例化がみられる(第5章)。さらに1937年万博(第8章)では, 電子楽器のオンド・マルトノを用いた, 光・水・音による複合的かつ前衛的作品の披露について言及されており, この系譜は戦後の万博において電子音楽創作とその空間デザイン設計にみることができる。

 しかしながら, 1900年代になると, 18回の万博(BIE Webサイトによる)のうち, フランスの開催は2回となり, ベルギー(5回)とアメリカ(5回)の開催が多くなる。第6章では, 「新興国アメリカの象徴」として開催されたシカゴ博を扱い, 従来の万博開催における百科全書的な啓蒙・教育の重視よりも, 一層エンターテイメント性が志向された経緯を明らかにし, 女性館や世界の音楽展示にみられる多様性を伴う変化にふれている。また, 日本製の西洋楽器(鈴木ヴァイオリン, 日本楽器製リードオルガン)の出展にかんする言及も重要である。第9章1958年ブリュッセル博は, 戦後初の万博開催である。同博の後、製品審査・褒賞制度の廃止, 「理念やテーマを尊重する万博」へとそのあり方が変化したことに言及する。また、同博日本館の設計者兼総合プロデューサーである前川國男(1905–1986)は, 1970年大阪万博(第10章)の鉄鋼館においても設計と総合プロデューサーとして関わり, 音楽プロデュサーに武満徹(1930–1996)を迎えて, 「ホール全体が巨大な楽器」となる音と光の立体音楽堂「スペース・シアター」での展示を行った。「あとがき」によれば, この鉄鋼館にかんする研究は目下進行中とのことであり, 今後の成果に期待したい。

 本書は, 折々の万博から音楽史をみることで多色の織りなしとしてその様相を詳らかにするだけでなく, 万博と日本(人)のかかわりを綾としている。19世紀以来の西欧主導の万博という舞台に, 入念な目配りを施すことで, 日本(人)の当事者性も意識させる内容となっており新機軸の著作といえよう。

【参考文献】

 Bureau International des Expositions, “World Expos,” (Retrieved May 4, 2025. https://www.bie-paris.org/site/en/expo-index/all-world-expos).

(くらわき まさこ/東日本支部)