東京藝術大学にインドネシア・ジャワのガムラン楽器がやってきてから50年。2025年3月、その足跡をたどる展覧会「藝大ガムランの五十年:展示と演奏―甘美なる青銅の響きに魅せられた人々―」が東京藝術大学音楽学部の大学会館で催され、3月30日上野の桜が満開に咲き誇る中、藝大ガムラン50年記念講演会とトークイベントが開催された。
ガムランが藝大にやってきたのは、1973年のこと。ジャワ島中部のスロカルト王家の様式によって19世紀後半に製作された名品であるという。1979年から1984年までの5年間、藝大で初めてアジアからの外国人教師としてサプトノ氏が教鞭をとり、ガムラン演奏だけではなく、舞踊も含めインドネシアの音楽文化を総合的に当時の学生たちに教授し、藝大ガムラン教育・研究の礎を築いた。その後、その学生たちが、西洋音楽の考え方では理解することが難しいガムラン音楽を、何とか次の世代へとつなぐべく試行錯誤しながら、藝大ガムランは現在まで受け継がれてきた。
記念講演当日、老若男女問わず多くの人が集まり客席は満員、立ち見が出るほどの大盛況となった。
プログラムの前半は藝大ガムランの草創期を経験した卒業生有志と、在校生の藝大ガムランクラブによって構成された特別なメンバーによる演奏。全体を通して、異国情緒を感じさせながらも、5音階の構造はどこか日本民謡や沖縄の音階に通じた親しみやすい音楽に感じられた。曲目は、最初は伝統的な楽曲、次に伝統的なジャワ語の定型詩にサプトノ氏が新たな言葉を入れた楽曲、そして最後はサプトノ氏によって日本語の歌詞で作られた自由な楽曲が演奏され、伝統的なガムランから新しいガムランまで、ガムランが生きた音楽であることを感じさせる内容であった。青銅楽器の澄んだ音と、ハリのある歌声が響きわたると、普段は賑やかな大学会館の会場全体が、一瞬にして神聖な儀礼の場になったような感覚に陥った。
後半は、藝大ガムランを現在まで繋いできた田村史子氏、森重行敏氏、植村幸生氏が登壇し、藝大ガムラン草創期のエピソードを語るトークイベントで、会場には当時を知る人が多く集まっていたこともあり、同窓会のような温かい雰囲気の中で行われた。サプトノ氏の功績と並び絶えず話題に上ったのが、小泉文夫先生の功績である。アジアの伝統音楽家を現地から専任教員待遇で迎えたことは、藝大では後にも先にもこの一例だけであるという。その外国人教師として抜擢されたのが、演奏と舞踊の技術を総合的に併せ持った才能溢れるサプトノ氏であったという。当時「本物」に触れることができた学生たちの衝撃は図り知れない。各氏のトークからその感動がひしひしと伝わり、タイムマシンで時を遡りその瞬間に居合わせてみたい!と思ってしまうほどだった。
小泉先生はいつも「自分が研究をするときは、必ずほかの人がやっていない研究をしなさい」と言い続けていたという。トークイベントでは、サプトノ氏の「Lancaran RAYUAN」楽曲中にある「まよわないで こわがらないで これ すべてをじぶんでつくる しんぱいしないで きっとかんがえる よいかんじになる」という歌詞が、生前の小泉先生の言葉を彷彿させるものである、と田村氏は言う。今回の記念講演は、伝統的なガムランをただ演奏するのではなく、日本語を取り入れた新しいものであったこと、そしてサプトノ氏の教えを直接受けた卒業生と在校生が一緒に演奏をするという、まさに伝統を受け継ぎながらも新しいことに挑戦する、小泉文夫先生やサプトノ氏の思いを体現したものであったように思える。
現在では、サプトノ氏が藝大で教鞭をとっていた当時の録音資料の整理が進められ、今まで聞くことのできなかった音源を、近い将来我々が聞くことができるようアーカイビングが行われ、「藝大ガムラン」は新しい領域へとまた一歩踏み出し、進化を続けている。
小泉文夫先生、サプトノ氏が残した「新しいことに怖がらずに挑戦する」という精神は、ガムランの演奏だけではなく、すべての音楽研究にも通じるものがあるように思う。先輩によって受け継がれてきたガムラン演奏を続けていくことはもちろん、この精神を、研究でも受け継いでいきたい。今回の藝大ガムラン50年の記念講演を通じて、新学期を前に背筋が伸びる思いだった。
(ながさわ あや/東日本支部・東京藝術大学音楽研究科博士後期課程)