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今日の音楽家 「ラインベルガー」 

田川 真由

(本稿は、2023年3月に日本音楽学会のX上に掲載された10回分の文章を、著者の許可を得て転載したものです)

 19世紀にミュンヘンで活躍したラインベルガー。あらゆるジャンルの作品を多数残しただけでなく、教育者として優れた音楽家を輩出しています。今日はそんな彼が編曲した、J. S. バッハとW. A. モーツァルトの作品にまつわるエピソードをご紹介したいと思います。
 編曲という行為はまったく珍しいものではありません。でもその目的は様々です。ラインベルガーを始め19世紀の作曲家は、オーケストラ作品のように必要な人員の多い大規模な編成の楽曲を出版する際、自らピアノ用に編曲して出版していました(当時は楽譜作成ソフトで再生なんてできませんものね)。
 そしてラインベルガーは、1883年にバッハの《ゴルトベルク変奏曲》BWV 988を2台ピアノでの演奏用に編曲して出版しています。今日では、ラインベルガーの編曲をM. レーガーが改訂した版(1915年)が広く使われています。
 今でこそ有名な《ゴルトベルク変奏曲》ですが、19世紀当時はほとんど知られていませんでした。編曲譜の前書きでラインベルガーは、もともと2段鍵盤のチェンバロのために書かれたものであることを指摘しており、自身の2台ピアノのための編曲を通じてバッハのこの作品を知ってほしい、と述べています。
 ラインベルガーは仕事用日記帳に、1885年3月のバッハの生誕200周年記念演奏会当日のプログラムを貼っています。そしてその演奏会で、彼の2台のピアノのための編曲版が演奏されていました。ひょっとするとラインベルガーは、この200周年を意識して編曲譜を世に出したのかもしれません。
 一方、ラインベルガーが最も敬愛した作曲家はモーツァルトでした。彼が編曲して出版したモーツァルトの楽曲は4曲あります。このうち非常に興味深いのが、教会ソナタの中からオルガンの活躍するものを選び出し、1つの作品として編纂した《ソナタ》WoO 97です。
 この楽曲はオリジナルの編成のままで、19世紀の演奏習慣に合わせて必要な演奏記号や、カデンツァが追加されています。つまり、編曲と言うよりは「解釈的校訂」です。1881年に旧モーツァルト全集出版事業の一環で教会ソナタが出版され、その後ラインベルガーはすぐに校訂作業を行いました。
 ラインベルガーは、この校訂譜が出来上がるとすぐにそれをバイエルン州立図書館に寄贈しています。前述の日記帳には、寄贈に対する図書館からの御礼状が貼られていました。ラインベルガーにとってこのモーツァルトの校訂譜が特別なものであったことが窺えます。
 ラインベルガーは、1867年にファニーと結婚してからFürstenstraßeに住んでおり、その建物が面するもう1つの通りは、1906年にRheinbergerstraßeと命名されました。写真でもわかるように図書館にとても近いので、彼が意気揚々と楽譜を持参した姿を想像してしまいます(郵送かもしれませんが)。
 この校訂譜の影響力が当時どれほどあったか、定かではありません。それでも、この出版の2年後にラインベルガー自身が《オルガン協奏曲第1番》op. 137を作曲しているため、教会ソナタとの出会いが彼の創作に影響している可能性は見逃せません

詳しくはhttps://doi.org/10.20591/ongakugaku.67.2_87