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断層の上を歩く――ある音楽学徒のロシア留学記(7)

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新田 愛

 指揮者テオドール・クルレンツィス率いる演奏団体「ムジカ・エテルナ」は、2019年に地方都市ペルミからサンクト・ペテルブルグへ拠点を移した。私がこの街に留学していた2022–2025年は、コンサート活動にとどまらず、演劇、ダンス、パフォーマンス、展覧会に加え、ワークショップ、マスター・クラス、レクチャー、映画上映会など、毎週どころかほぼ毎日、何らかの企画が組まれていた。新部門を次々に立ち上げ、ペテルブルグの文化の一角を担う存在へと成長していくのを肌で感じた。ただし、2024年4月に本拠地のドム・ラジオ(ラジオ会館)が改修に入ったため、現在は規模を縮小し、臨時会場で公演を継続している。

 改修前の2023年秋から冬にかけて、私はいくつかの催しに参加した。まず、2023年9月3日。クルレンツィスが夜にショスタコーヴィチの交響曲第13番を振った日だ。チケットを買ってからムジカ・エテルナのサイトを覗くと、同日昼、ドム・ラジオで作品に関するワークショップがあるとの告知が出ていた(ちなみに、夜のコンサートは大量の観客を入れるため、郊外にあるMTSライブ・ホールで行われた)。「現代の観客ラボ」というシリーズの企画らしい。登録は無料だったので行くことにした。申し込んだときは、ロシアでよくあるコンサート前のレクチャーだろうと思っていた。

 ところが、実際は2時間しっかり身体を動かす、文字通りのワークショップだった。企画者である演出家エリザヴェータ・モロースが趣旨を説明した。最終的には、エフゲニー・エフトゥシェンコの詩「恐怖」の各行を、参加者が身振りのみで表現する。それを順に動画撮影し、編集して1つの作品にするという。

 周知のとおり、エフトゥシェンコは1961年に発表した詩「バービイ・ヤール」で、ナチス・ドイツに虐殺されたユダヤ人を追悼し、ロシア・ソ連に蔓延るユダヤ排斥主義を告発した。翌年、ショスタコーヴィチはこの詩に、続いてエフトゥシェンコのほか4篇の詩にも音楽を付け、5楽章からなるバス独唱、バス合唱、オーケストラのための交響曲第13番を完成させた。各楽章には元の詩の題が付いている。第1楽章「バービイ・ヤール」、第2楽章「ユーモア」、第3楽章「商店にて」、第4楽章「恐怖」、第5楽章「立身出世」。このうち「恐怖」は、詩人が交響曲のために書き下ろした作品だ。

 本題に入る前に、靴を脱ぎ、ストレッチをする。参加者は約30人。そのうち半数ほどがろう者だった。招待枠があったようで、手話通訳も付いていた。さまざまな導入ワークをする。レフ・トルストイの本をぱっと開き、指差して当たった単語(「ロシア」とか「悩み」とか)を、声に出して皆に宣言し(あるいは通訳が伝え)、その後は言葉なしで表現するという課題があった。私やほかの人に比べて、日常的に手話を使う人は身体の反応が速く、表現も大胆かつ明確だった。プロの俳優らしき人もいた(興味が湧いて彼らのことを調べると、ろう者の俳優団体があることが分かり、後日、公演にも行った)。

 そして、いよいよ「恐怖」の身体解釈へ。1人数語ずつ担当し、カメラ前の椅子に座って数秒、無言で身体表現をしていく。

 参考のため、以下に「恐怖」の和訳を引く(一柳富美子訳、大阪フィルハーモニー交響楽団第575回定期演奏会パンフレットより)。

恐怖がロシアで死にかかっている
過ぎ去った歳月の幻影のようだ
ただ教会の入り口付近で
乞食のように物乞いするだけ

私は覚えている 虚偽に満ちた館で
権力に浸りきった恐怖の姿を
恐怖は影のように忍び寄り
あらゆる家に入り込んだ

気づかぬうちに人間を飼い慣らし
全てのものに烙印を押した
黙る時に叫び 叫ぶ時に黙るよう
人間を手なづけた

今となっては 思い出すのも奇妙だが
それも遠い昔のこと
誰かに密告されるという目に見えぬ恐怖
ドアを叩く音にも怯える恐怖

外国人と口をきく時はどうだった?
むろん恐怖はつきものさ
じゃあ 妻と会話する時は?
行進の後の静けさに取り残された
何とも言い難いあの恐怖は?

吹雪の中の土木作業も
戦場での砲弾も恐れはしなかった
それより喋るのが 死ぬほど怖かった
他人はおろか 自分への独り言さえ

結局我らは 身も心も無事だった
だからこそ今は逆に
――
恐怖に打ち克ったロシアは
更に大きな恐怖を敵に及ぼせるのだ

霧が晴れるように
僕には新たな恐怖の数々が見えてくる
国に不忠である恐怖
真実の思想を虚偽で欺く恐怖
無我夢中にはやしたてる恐怖
他人の言葉を繰り返す恐怖
他人に過敏に不信感を抱き
逆に自分を過信してしまう恐怖

恐怖はロシアで死にかかっているが
詩人の私は時折心ならずも
時間をかけずに作詩することがある
全力を尽くさずに詩を書く――
これが今の私の唯一の恐怖

 私の担当箇所は、最初の方にある「乞食(老婆)のように」というわずか2語。ふと、ソ連の画家ボリス・プロロコフの作品「バービイ・ヤールにて」を思い出した。そこに描かれた老婆を表現するつもりで、震える手を握り合わせ、祈った。これが運営に気に入られたようで、私の写真が知らぬ間にムジカ・エテルナのフ・コンタクチェ(ロシアのSNS)アカウントに上がっていた。

ボリス・プロロコフ 連作「繰り返してはならぬ!」より「バービイ・ヤールにて」(画集『戦争には戦争を!』)
2023年9月3日のワークショップに参加する筆者。ムジカ・エテルナの「フ・コンタクチェ」アカウントの投稿より(URL: https://vk.com/wall-186044094_7292?z=photo-186044094_457244238%2Fwall-186044094_7292

 動画は、1ヶ月以上経ってからYouTubeに公開された(URL: https://www.youtube.com/watch?v=FIfEXXKoG94&list=PL2ju2wT_Q6V7u0Ovc19JHPJqKp-SN7loV&index=31 詩「恐怖」の解釈は02:21あたりから)。

 では肝心の、9月3日夜のクルレンツィスとムジカ・エテルナの演奏はどうだったか。この日の会場はポピュラー音楽向けのホールで、響きが非常に悪かった(ペテルブルグではフィルハーモニーやカペラで振ることが多いクルレンツィスだが、ホールが確保できなかったのだろう)。そのせいか、とくに前半は、オケも合唱も音楽に踏み込めていないように感じた。

 なお、同年12月には、クルレンツィスに対抗するかのように、ペテルブルグ・フィルハーモニーで指揮者ニコライ・アレクセーエフもこの第13番交響曲を振った。会場の音響の良さも手伝い、私にとってはこちらの演奏の方が印象深かった。特に、モスクワから呼んだボリショイ劇場の男声合唱が出色で、エフトゥシェンコとショスタコーヴィチのどす黒い懊悩が伝わってくるようだった。

 9月のワークショップからしばらくして、私はまた、ムジカ・エテルナのサイトを眺めていた。新たに発足した演劇部門 «Αθεατρον» が目に入る。ページを開くと、この部門のマスター・クラスの案内が複数並んでいる。驚いたことに、イメージ画像に使われていたのはあのときの私の写真だった。

 そのうちの1つ「導体・楽器としての身体」に目をやる。演出家エレーナ・モロゾワのマスター・クラス。プロの俳優、音楽家、演出家、ダンサー等が対象と書いてある。こちとらプロではない。しかし、私の写真を(勝手に)使っているんなら、私にだって申し込む権利があるのではないか。授業にも研究にも慣れ・ダレがにじむ留学2年目。「何か楽しいことないかな」が口癖。友だちも欲しい。申し込んでみたら無事通った。

 マスター・クラスはドム・ラジオで11月6日、7日の2日間にわたって行われた。2日目にはパフォーマンスを一般の観客に見てもらうという。参加者は26名で、推定20代から40代の男女が集まった。パフォーマー然とした、いかにも「自分の世界を持っています」という顔の、シュッと引き締まった人ばかり。そんなところに小太りのアジア人1名。すぐに後悔した。初日は12時から19時まで、休憩をはさみながらさまざまな動きをした。床に這いつくばり、のたうち回り、声でキャッチボールをする。ペアを組んで身体を押し合う。床に身体を何回も打ち付け、くらくらしてきた。

 夜、家に帰ったら博論の続きを書こうと思っていたが、とても無理だった。目が回る。翌朝起きると、筋肉痛とあざで身体が上手く動かなかった。

 2日目は昼すぎまで、再びさまざまな身体表現のワーク。たとえば、輪になって座り、手の爪で床をカチカチ鳴らしながら、重ならないよう、順番にロシア語のアルファベットを言っていく。無言のうちに他人のリズムを探らないといけない。

 あとで振りかえってみると、このマスター・クラスが目指していたのは、普段の生活で身体に都合よく押しつけている「言葉と身振り」という役割をはがし、自己をより原始的な表現デバイスとして捉え直すことだったのだと思う。身体をインストゥルメント(道具)として扱うことで、逆説的に心体二元論を退ける。身体こそが世界を認識し、世界に応答する主体であるという、メルロ=ポンティ的な知覚を取り戻すかのようだった。

 昼すぎからは夜の発表の準備に入る。誰それがどこでどうする、といった指示はない。今までやったような身体表現をゆるやかにつなぐ。紐を使って6,7人が絡みあい、生き物のように自由に動く場面がある。歩いたり這いつくばったりして舞台の端から端まで移動する場面がある。甲高い声を向こう端に向けて投げ合う場面がある。26人の身体がそれぞれ1つの細胞のように、うごめき、くっつき、分かれ、再びよどみ、凝固する。リハーサルと本番は一致しない。終演後は妙な高揚感があり、互いに抱き合った。客席には20–30人。立って拍手してくれた人もいた。

 結局、友だちと呼べる人はできなかった。それに、公演の録画を送ると言われてからはや2年、その気配はない。ロシアはこういう国だ。

 動画が送られてこなくて、正直助かっている。自分はやはり表現者にはなれない。公演を思い出すだけで恥ずかしくて変な汗が出てくる(この記事も羞恥心が邪魔して、書くのに時間がかかった)。それでも嬉しかった。ペテルブルグの文化空間に、一瞬でも観客以外の私が存在したことが。

(にった めぐみ/東日本支部)

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