(本稿は、2023年4月に日本音楽学会のX上に掲載された10回分の文章を、著者の許可を得て転載したものです)
2023年は、20世紀スペインを代表する作曲家の一人フラダリック・モンポウ(1893年~1987年、バルセロナ)の生誕130周年です。フラダリック・モンポウはカタルーニャ語名、フェデリコ・モンポウはスペイン語名です。現地の慣習に従い、今回はカタルーニャ語名に統一します。
モンポウは1893年4月16日にバルセロナのポッブラ・セック地区で生まれました。ポッブラ・セック地区は万国博覧会(1929年)やオリンピック(1992年)の会場となったモンジュイックの麓にあります。当時、この地区には工場が立ち並び、モンポウの祖父が経営する鐘工場もありました。
祖父の鐘工場での経験がモンポウの創作活動に大きな影響を与えたことは有名ですが、今日では、この工場が鋳造した鐘の音を実際に聞いた人はあまりいないと思います。フラダリック・モンポウ財団(@FundacioMompou)が所蔵する鐘を筆者が鳴らした時の録画を、財団の許可を得て公開します。
1909年にフォーレのピアノ五重奏曲作品89を聴いたことがきっかけとなり、作曲家を志したモンポウは、和音の創作に熱中しました。1910年に完成した「海岸地区」という名前の和音には、鐘の影響が見られます。旋律より和音の創作を重視する姿勢は、モンポウの作曲活動の原点の一つです。
作曲へ専念するにつれて、モンポウは記号や演奏指示も工夫するようになりました。《内的印象》(1911~1914年作曲、1959年改訂)や《子どもの情景》(1915~1918年作曲)のような初期ピアノ作品に、伝統的なイタリア語表記と異なる「記号」や「演奏指示」を多用しています。
モンポウは独自の「記号」と「演奏指示」を考案し、「響き」や「速度」といった主要な音楽要素の再定義を試みました。自筆資料から、モンポウは「記号」や「演奏指示」を考える際、スペイン国内外の過去、および同時代の音楽家、思想家からインスピレーションを得ていたことが分かります。
たとえば、ショパンです。モンポウがショパンから影響を受けた例として、ピアノ作品《ショパンの主題に基づく変奏曲》(1938~1957年作曲)がよく言及されますが、実は、モンポウは独自の「記号」を考案する際にも、ショパンの作品からインスピレーションを得ていたと考えられます。
ただし、モンポウの「記号」や「演奏指示」は演奏家の自由な作品解釈を妨げるものではありませんでした。1974年のモンポウの録音と1983年のアリシア・デ・ラローチャの録音を聞き比べてみてください。《内的印象》第九曲〈ジプシー〉の最後の和音の解釈が、作曲家と演奏家で異なっています。
1955年のリハーサルで、モンポウは独自の「記号」が付いたこの和音を強く弾くようラローチャへ指示していました。しかし、演奏家が作品を適切に分析し、一貫した論理に基づいてパフォーマンスを構築しさえすれば、たとえ解釈が異なっていたとしても、モンポウは演奏家の考えを尊重したようです。
モンポウとラローチャの演奏の違いは、モンポウの作品が内包する厳密さと寛容さを端的に表しています。独自の「記号」や「演奏指示」を楽譜に細かく書き込みながら、作品の解釈にある程度の自由を認めることによって、モンポウは独立した地位を獲得し「新しい」音楽を生み出すことに成功したのです。(了)