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被爆ピアノの対となりうる「被爆ドラム」はあるのか

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加藤 勲

 2026年1月26日付の毎日新聞に、「被爆ピアノを引き継ぐ 音色を、願いを、物語を」という記事が掲載された。記事によれば、被爆ピアノは、被爆時に付着・食い込んだ破片の痕跡を残したまま修復され、演奏会を伴いながら戦争被害の凄惨さを音楽と史実によって継承する実践として、現在も使用され続けていることが強調されている。例えば矢川ピアノ工房の矢川光則氏は、外装の傷をあえて消さず「歴史を消したくない」という姿勢で修復・保存と演奏活動を続けてきたことが紹介されている。また、被爆ピアノの修復・保存・演奏を担う活動が、JASRAC音楽文化賞で顕彰されたことも報じられた。

 この記事を読んだとき、私の関心は一点に収斂した。「被爆ピアノ」があるのなら、被爆ドラムはないのか——より広く言えば、打楽器は、被爆の記憶を媒介する“楽器”として、なぜ語られにくいのか、という問いである。

 調べてみると、まず「被爆ドラム(ドラムセット)」という語は、公開情報の範囲ではほとんど一般化していない。一方で長崎市のサイトには、戦前期の都市娯楽空間において少なくとも“ジャズ(と呼ばれた音楽)”が流通していたことをうかがわせる記述がある。当時の興行・ダンスホール文化の文脈を踏まえれば、そこでは打楽器(ドラムを含む西洋打楽器)が介在した可能性もあるだろう。ただし現時点で、被爆したドラムセット個体の所在・来歴を確認できてはいない。むしろ、この記述を確認したとき、私の中で強く立ち上がったのは、「仮に被爆ドラム(あるいは被爆した西洋打楽器)が存在しえたとして、なぜそれが公的に“記録される対象”になりにくかったのか」という問題であった。

 他方、ドラムに限らず打楽器へと調査対象を広げると、太鼓が被爆資料として公的に記録されている例が確認できる。広島市ウェブサイトには、袋町小学校平和資料館の保存対象として「爆風により運動場に吹き飛ばされたと言われている太鼓」が記録されている。写真からは、被爆による強い衝撃によって、和太鼓の膜面が大きく損傷している様子が見受けられる。和太鼓を一度でも演奏したことがある人であれば、膜面が大きく破れること自体が、衝撃の凄まじさを想像させる博物資料であると理解しうるだろう。ここに展示されているのは、コンサートツアーとして物語化される被爆ピアノとは別の位相——学校という公共空間に残り、博物資料として展示される「被爆の物証」としての打楽器(太鼓)である。

 この差異は、単に「たまたま残った/残らなかった」という偶然の問題ではないだろう。むしろ、何が“楽器”として社会的に認知されるか、そしてどのような形式で記憶が公的領域へと接続されるかという制度的・文化的条件の差異を示しているように思われる。被爆ピアノが強い象徴性を獲得してきた背景には、少なくとも三つの要素がある。第一に、ピアノは個体識別(製造番号等)や所有履歴が追いやすく、「この一台」の来歴を物語として束ねやすい。第二に、ピアノは山葉(現ヤマハ)を主体とする販売戦略や近代日本の家庭・教育とも深く結びつく楽器であり、生活世界の記憶と接続しやすい。第三に、修復者と演奏家が媒介することで、学校公演や巡回演奏会といった社会実装の回路に乗りやすい。

 対して太鼓や打楽器は、共同体的・儀礼的・学校的な用途の中で用いられ、個体の来歴が所有者や使用者の物語ではなく「場所の記憶」に回収されやすい。その結果、資料館の展示物としては残っても、被爆ピアノに見られるような「演奏を伴う平和活動」という運用を通じて広域に可視化されにくい——このような偏りが生じているのではないか。実際、被爆楽器としてはピアノに加え、ギターやヴァイオリン等が前面に出る企画は見られる一方で、打楽器は語りの中心に置かれにくい。しかしこれは、打楽器が劣位であるという価値判断ではない。打楽器は、旋律を奏でうると定義される楽器とは異なる仕方で、身体・空間・共同性を組織する。もし被爆の記憶が「個人の体験」だけでなく、「都市の空間」「学校の制度」「共同体の再編」といった複数の層にまたがるのだとすれば、太鼓(打楽器)にも媒介できる記憶の形式があるはずだ。袋町小学校平和資料館に残る「吹き飛ばされた太鼓」は、その可能性を示しうる物証としても位置づけられるだろう。

 本稿の結論は、まだ仮説の域を出ない。だが、問いの輪郭だけは明確にしておきたい。被爆ピアノの保存が「音色と物語」を通じて社会化されてきたのだとすれば、(1)被爆した打楽器(太鼓)はどのような制度回路の中で、どのような“記憶の形式”として保存され、語られてきたのか、(2)なぜ被爆ピアノと同種の運用——すなわち演奏実践へ接続する回路——が打楽器では形成されにくかったのか。この問いは、楽器研究・音の記憶研究・文化政策研究が交差する地点にある。私自身、まずは「被爆打楽器」の所在と来歴、展示の語り、演奏実践の有無を、一次情報(資料館・自治体・所蔵機関)に即して追っていきたい。

(かとう いさお/東日本支部)

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画像出典:広島市公式サイト内「広報ひろしま市民と市政:資料館として残る被爆の記憶」掲載画像(2.太鼓)
URL:https://www.city.hiroshima.lg.jp/www/koho/shimintoshiseir050801/shimintoshisei/ward/naka/topics/topics01.html(2026年1月26日閲覧)