第2回「店主は松田優作」
JR高円寺駅南口を出て高架下を歩いていくと、「無力無善寺」という変わった名前のライブハウスがある。変わっているのは名前だけでない——無善寺はことごとくライブハウスの規範から逸脱した空間で、店主も出演者も観客も、皆どこかその逸脱を楽しんでいる。
薄暗い店内の壁には店主が書いた難解な標語が無数に貼り付けてあり、毎日開催されるライブの一番手には、その店主が必ず演奏する決まりである。ここにはいわゆる「ブッキング」というシステムがなく、希望者はマンスリースケジュールから好きな日程を選び、数千円の出演料を払って演奏する……のだが、その出演者もなんというか、実に多種多様である。わたしがはじめてここに来たときは、人妻へのラブソングだけをひたすらエレキウクレレで熱唱する人や、B’zの曲に合わせて乾布摩擦をする人、奇妙な自作の紙芝居を読み上げる人などが出演していた。アンダーグラウンドとはこういう場のことをいうのだろう、と思った。
ライブハウスの研究をはじめるまえから、いわゆるライブハウスの「慣習」のようなものにはほとほと嫌気がさしていた。女性しか出演しないイベントへのブッキングは、自分の活動が安易にカテゴライズされているような気になったし、チケットノルマを気にしながら集客をする自分も嫌いだった。特に、知り合いのいない日のイベントは孤独で辛い。30分のステージのためにクリアしなければならない障壁が多すぎる。いまライブハウスの研究をしている自分は、だれよりもライブハウスの慣習に馴染めなかった自分でもある。
わたしは毎月第一金曜に、無力無善寺で歌をうたうことにしている。ライブハウスに馴染めなかった自分にとり、無善寺のトリッキーさは不思議と居心地よく感じられた。何をしても許される空間、というわけではない。観客席と地続きのあのステージでは、いい意味でも悪い意味でも「地」が出る。なんというか、自分の演奏に嘘がつけない感じがするのだ。
ちなみに以前、ライブ中のMCで「松田優作と結婚したい」と話したのだが、翌月から店主のステージネームが「松田優作」に変わっていたことがあった。これで俺と結婚してくれ、ということらしい。馬鹿馬鹿しいが毎月律儀にステージネームを「松田優作」に変える店主のことを思うと、ここにはわたしの居場所が少なからずあるような気がするから不思議である。彼は毎月、第一金曜になると黒いサングラスをかけてライブをする。
無善寺はそのトリッキーさゆえに「炎上」することもしばしばある。詳細は伏せるが、まあ昨今のポリティカル・コレクトネスの観点からするとアウトな側面があるのはたしかだし、さまざまな「炎上」問題の真偽のほどは、正直なところほとんどわからない。詳しい事情を知りたいような気がするときもあれば、あまり知りたくないときもある——けれど、この場所でしか歌えない人、この場所でしか聞けない音楽が存在することはたしかだ。それはどんな事情があろうと変わらない事実であるし、わたしはいち歌い手として、そしていち研究者として、そのことの重要性を忘れたくない。政治的な正しさというのは、そもそもそういう有象無象が守られるためにあるはずである。
ライブハウスには「箱付き」という言葉があって、その日の出演者やイベントの内容によって来店するのではなく、そのライブハウス自体のフアンとして遊びにくる人のことをそう呼ぶ。今日では「箱付き」の客はめっきり減ったと聞いているが、無善寺にはいまだに、スケジュールも見ずにふらっとやってくる人が後を絶たない。ライブハウスは音楽を演奏したい人/聴きたい人のためのレンタルスペースではない、否、あってはならないと切に思う。
高円寺駅の高架下にある店は現在、JRの再開発事業によって立ち退きを余儀なくされているという。居酒屋や大衆食堂が軒を連ねるこのエリアには、きっと同様のトリッキーな絆が多く存在しているだろう。こうした場が失われるとき、消えていくものは数知れない。高架下に集った人びとの関係性や、逸脱がゆるやかに許容される空間そのものが、静かに解体されていく。無善寺は断固として立ち退かないらしい。わたしも自らの逸脱のために、歌い続ける場所を手放さずにいたいと思う。
(ほしかわ あや/日本ポピュラー音楽学会)