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書評|クリストフ・ヴォルフ『バッハ 音楽創造の宇宙』松原薫(訳)

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(東京:春秋社、2025年4月4日、480頁、¥5, 000+税、ISBN9784393932261)

樋口 隆一

音楽学者クリストフ・ヴォルフ氏(1940年ゾリンゲン生)は、ベルリン音楽院で教会音楽、ベルリン自由大学で音楽学を学び、1966年、ブルーノ・シュテープライン教授の指導の下に博士論文『ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽における古様式。バッハの晩年作品の研究 Der stile antico in der Musik Joh. Seb. Bachs. Studien zu Bachs Spätwerk』(1968年出版)をエアランゲン大学に提出し、音楽学者としてのスタートを切った。シュテープライン教授は、グレゴリオ聖歌をはじめとする中世音楽の権威だった。それから約半世紀たって出版された本書を読んで感じるのは、バッハの作品を論じながら、中世以来の音楽伝統との関連が、自然な形で浮き彫りにされていることである。

ヴォルフ氏の博士論文はドイツでも高い評価を得たが、むしろ新大陸に活躍の場をもとめたのは正しかった。トロント大学、コロンビア大学を経て、1974年からハーヴァード大学を中心に、文字通り世界的活躍が始まった。

ヴォルフ氏とは長い付き合いのある筆者は、彼がまた単なる研究者ではなく、優れたオルガニストであることも知っている。ハーヴァード大学教授だった彼は、同じボストンにあるニューイングランド音楽院のオルガン科主任教授だった林佑子氏(1929~2018)とも親しく、その招きで横浜のフェリス女子大学で講演をし、オルガンの演奏も披露されたのだった。

ヴォルフ氏との付き合いは、それからさらに数年をさかのぼる。バッハ生誕300年だった1985年、ヴォルフ氏から依頼があった。当時は福島県白河市の大木家に秘蔵されていた南葵音楽文庫を訪れて、バッハのオルガン曲《クリスマスの讃美歌「高き天より」に基づくカノン風変奏曲》(BWV769)の初版譜を調査したいので、なんとかしてくれというのだった。おなじ『新バッハ全集』の校訂者同士の気安さもあって頼んでくれたのだから、八方手を尽くして実現したことはいうまでもない。もちろん筆者自身もこの初版譜は見たかったから、この調査旅行は楽しい思い出である。東北新幹線が上野まで延びたばかりのことだった。

オリジナル資料へのあくなき情熱は、彼の半生において一貫している。2001年以来、ライプツィヒ・バッハ・アルヒーフ所長、2005年以来、国際音楽資料目録(RISM)委員長という要職へと彼を導いたのは、まさにこの情熱にほかならない。

筆者も国際音楽学会(IMS)日本代表理事、同副会長を務めた関係で、ふたたびヴォルフ氏との接点が増えたことも楽しい思い出である。

2003年にはライプツィヒ・バッハ・アルヒーフで、ベルリン国立図書館と共催で「手稿譜の修復とデジタル化 Restaurierung und Digitalisierung von Musik-Handschriften」という画期的なシンポジウムが開催され、日本からは故小林義武氏と筆者が招かれたのも懐かしい思い出だが、今考えると、こんなテーマを考えたのはヴォルフ所長の先見性の証である。バッハ研究者の多くはデジタル化には慎重論を唱えたが、筆者はバッハ研究の国際化を理由にひとり積極論を唱え、図書館関係者から感謝された。その後、世界の図書館はデジタル化を進め、筆者の主張の正しさが証明されている。

2008年には『新バッハ全集』が完結し、ライプツィヒ市庁舎での記念式典には新旧の校訂者たちの顔があった。筆者はヴォルフ所長と握手を交わしながら、「いつの間にか僕らも古株になっていたね」と笑いあった。

テューリンゲン地方の小さな教会などを網羅的に調査するプロジェクトなど、ヴォルフ所長は、若い世代をうながしてバッハ研究に新たな風を吹き込ませるのが上手だ。しかしそれは一方通行ではない。彼自身も、若い世代との学問的交流から多くを学び、その成果は本書の随所に反映されている。それを実感させられるのは、興味深い「註」の数々である。これらを読みながら沈思黙考すると、現在のバッハ研究の新成果だけでなく、さまざまな可能性が見て取れる。若い研究者はそれらに触発されて、新しい視点を学んでほしい。

ヴォルフ氏にはすでに『ヨハン・セバスティアン・バッハ 学識ある音楽家』(秋元里予訳、春秋社、2004年)という大著がある。原著は“Johann Sebastian Bach. The Learned Musician” (Norton, 2000)であるから、本書はそれから10年後の出版ということになる。これも英語で書かれ、なんと日本語を含む11か国語に翻訳されたという。同書においてヴォルフ氏が行ったのは、歴史的文書を丹念に読むことによって、謎に包まれていたバッハの人生と作品の関係をより明らかにすることだった。例えば、オルガニストだったバッハがカンタータの創作に向かう初期段階として知られているアルンシュタットからミュールハウゼン、さらにワイマールへと向かう時期、つまり1702年から1708年のバッハ活動に関しての記述には、当時としては新しいものが多くあり、筆者も多くを学んだ。

それから10年を経ての新著において、ヴォルフ氏はバッハの人生そのものよりは、個々の作品群に着目し、それらを深堀することによって、バッハにおける「音楽創造の宇宙」を解き明かすことに全力を注いだ。その成果は見事なものである。 


ヴォルフ氏はまず「プロローグ」を「つねにポリフォニーとともに」と名付け、エリアス・ゴットロープ・ハウスマンが描いた肖像画(1748年)の分析から始める。バッハが右手で示している楽譜は《6声のための三重カノン》(1747年)にほかならない。バッハはこの小さな楽譜を1747年に印刷させて、教え子のローレンツ・クリストフ・ミツラーが設立した音楽学術文通協会の会員たちに配布させている。その意味でこれはバッハの「作曲家の名刺」なのである。このことによってバッハは、みずからが音楽の「すべてを包摂するポリフォニー」をマスターした作曲家であることを後世に示したともいえよう。

第1章「バッハの音楽創造の宇宙を語る」は、1750年に作られた最初の作品リストについての論述から始まる。これはバッハの死後、『音楽文庫』の編者ミツラーの依頼で次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハが執筆した『個人略伝』に付された「作品一覧」のことである。それは「出版された作品」と「出版されていない作品」からなり、前者には《クラヴィーア練習曲集》第1~第4集、「多数の讃美歌に基づく、オルガンのための3声プレリュード」、「讃美歌《高き御空より》に基づくいくつかのカノン風変奏曲」、《音楽の捧げもの》、《フーガの技法》がある。

当然ながら「出版されていない作品」は圧倒的に多く、16項目にわたっている。筆頭は「5年分の日曜・祝日用の教会作品」(教会カンタータ)、さらに「オラトリオ、ミサ曲など」、「5つの受難曲」、モテット、オルガン曲、「24曲のプレリュードとフーガ」(全2巻)、クラヴィーア曲、特に2声のインヴェンションと3声のシンフォニア、ヴァイオリンとチェロのための無伴奏ソナタ、チェンバロとヴァイオリンのための6つのソナタ、チェンバロ協奏曲、その他の多数の器楽曲。バッハの死の直後、彼の作品の全貌がこうして記録されたということは意味深い。バッハの執務室には、これらの楽譜がかなり体系的に保管されていたことを示唆している。以後、ヴォルフ氏は、バッハの生涯を緩やかにたどりながら、彼ならではの作品論を深めていく。

第2章「作品と演奏への革新的なアプローチ」では、「3つのユニークな鍵盤楽器教本」について論じる。これらは、1722年11月、ライプツィヒのカントル職に志願するために提出した3つの曲集だった。

(1)1708~10年(つまりワイマール時代)に書き込み始めた40数曲のコラール前奏曲集で、バッハはその表紙に《オルガン小曲集》という没個性的な題名を書き込んでいる。(2)24曲のプレリュードとフーガからなる《平均律クラヴィーア曲集》(第1巻)。(3)2声のインヴェンションと3声のシンフォニア各15曲。これらが新任のトマス・カントルとなったバッハの教育活動で有益に使われたことは言うまでもない。

第3章「自律的な器楽曲をもとめて」において、ヴォルフ氏は「トッカータ、組曲、ソナタ、協奏曲」を論じている。バッハの「門出の〈作品〉」となったのは鍵盤楽器のための《6つのトッカータ》である。若きバッハは、リューベックへの冒険旅行などにおいて、ベーム、ブクステフーデ、ラインケンなど北ドイツの巨匠から、幻想的で華麗なトッカータ、前奏曲を学んだ。《パッサカリア ハ短調》(BWV582)も、こうした作品のひとつである。

「ヴァイマールとケーテンで書かれた〈作品〉風の曲集」に属するのは、「チェンバロのための6つの組曲」すなわち《イギリス組曲》と《フランス組曲》、無伴奏ヴァイオリンとチェロのためのそれぞれ6曲のソナタであり、さらに「様々な楽器のための6つの協奏曲」(ブランデンブルク協奏曲)、「チェンバロとヴァイオリンのための6つのソナタ」、「オルガンのための6つのトリオ・ソナタ」がある。

第4章でヴォルフ氏が、「1年を通してコラール・カンタータを作曲する」とことを「最も野心的な計画」と名付けているのには、まさに「わが意を得た」思いである。

バッハはライプツィヒ着任後2年目にあたる1724年6月11日から1725年3月25日にかけて37週間、その日の礼拝のためのカンタータを、それにふさわしい特定のコラールに基づいて41曲も作曲し続け、いわゆる「コラール・カンタータ年巻」の完成を目指した。この連続上演は、1725年3月25日(受胎告知の祝日)でいったん休止され、続く3月30日の聖金曜日は受難コラール「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」で始まる《ヨハネ受難曲》第2稿が上演され、4月1日の復活祭日曜日には、ミュールハウゼン時代の旧作《キリストは死の縄目につながれたり》が再演され、いったん休止となった。しかしその後も、1734年に至るまで、名作揃いのコラール・カンタータが作曲され続けた。

以後は各章の見出しのみを紹介しよう。第5章「鍵盤楽曲の最先端を高らかに告げる」《クラヴィーア練習曲集》、第6章「キリストを讃える教会音楽の山並み、3つの受難曲とオラトリオ3部作」、第7章「過去の作品を吟味し振り返る(改訂、編曲、改作)」、第8章「器楽ポリフォニーと声楽ポリフォニーの極致」《フーガの技法》と《ミサ曲ロ短調》、エピローグ「理論を伴う実践」(学識ある音楽家の座右の銘)。

この大著をみごとに翻訳されたのは、『バッハと対位法の美学』(春秋社、2020年)の著者でもある松原薫さん。まさに最適な訳者を得て、ヴォルフ氏が生涯をかけた名著が、日本のバッハ愛好家に届けられた。渾身の力作にひたすら感謝するばかりである。

(ひぐち りゅういち/東日本支部・明治学院大学名誉教授)