「音楽学」は現代の教育現場に居場所を見出すことに苦労している。私が「音楽学」という専門分野を維持したまま、2017年に、北里大学一般教育部の人文社会科学単位に置かれた「芸術」担当教員として就職できたことは幸運だった。しかし勘違いをしてはいけない。主に生命科学を専門とする学生たちが専門課程に進む前の1年間を「教養教育」あるいは「初年次(導入)教育」に充てている北里大学で、「芸術」の授業に期待されていることは、「生命科学系総合大学の学生に相応しい、幅広い視野と豊かな人間性を身につける」1ことであり、大学1年生の間に、「みずみずしい感性を養う時間を十分に確保する」ことを目的として設置されている。つまりその役割は、芸術としての音楽そのものが担うものであって、決して「音楽学」という学問が担うわけではない。
就職以来私は、本務校での生活と、いわゆる「音楽業界」のお仕事を、完全に異なる2つの世界の出来事として、その都度スイッチを切り替えながら別人格のようにこなすようになった。2つの世界はほとんど交わることがない。そして研究としての「音楽学」を徐々に、自然科学分野の常識が色濃い本務校に合わせるよう、修正していった(その具体的な意味と方法については、まだ言語化できない)。学問としての立ち位置と芸術との狭間で右往左往している「音楽学」については、私自身ずっと悩みの種であり、これまでにもことあるごとに考えてきたが2、各学問分野のダイジェストのようになっている一般教育部に身を置くことで、少しその矛盾の解決策が見えてきたのだ。そもそも「リベラルアーツとしての音楽」は、数学・幾何・天文に並ぶ数学的四科のなかにこそ居場所があった。そしてこの古代から受け継がれる「アルテス・リベラレス(リベラルアーツ)」でいう「アルテス」とは、すでにある知識だけではなく、新たに何かを産み出すための知識基盤を意味する。豊かな音芸術を感受し、そこから(生命科学分野につながる)何かを産み出すためのヒントを与えること、これが、私の大学で取り組むべき「音楽学」の姿なのではないかと考えた。
問題は、なぜ音楽業界と大学での生活が交わることがないのか、ということだ。私の日常は、人々が必死に「生きる」現場と接している。大学に通うときには病院行きのバスに乗り、病院の脇を通って校舎に入る。大学病院には病気の方、障害をもつ方、生死の境を彷徨っている方がいて、学生たちもまた、人間や動物の病気や生死に向き合い続ける道を進む。しかし私が仕事として携わる音楽業界(クラシック分野)やコンサート会場は、そうした生死の現場や野生の息づかいとは無縁だ。音楽そのものの性質を考えたとき、この乖離がいつももどかしかった。
さらに、狭い専門分野としての「音楽学」と、理想とするアルテス・リベラレスの「音楽」の間にも乖離があった。なぜ西洋音楽は長三和音が基準となっているのか。短音階の規則や、和音の転回形を「同じ和音」とすることに付随する様々な決まり事は、なぜこんなに複雑なのか。当たり前と思っていた知識を、白紙の状態で受け入れる学生たちから発せられる疑問は、音楽理論が科学ではなく単なる「了解ごと」であることに気づかせてくれる(ラモーとダランベールが最終的には袂を分かったように)。長い時間をかけて積み上げてきた様々な了解ごとを共有するコミュニティが、狭まれば狭まるほど、その知識は広い世界のなかで意味をなさなくなる。狭い専門分野を同じくする海外の同業者よりも、すぐ隣の研究室にいる他分野の日本人の方が、会話を成立させるのは難しいのだ。「音楽学」は一度積み木を全て崩して、一から積み直す必要があるのではないか。
以上は、もんもんと日々考えていることを言語化したものだ。そもそも「教養」という言葉は現在ほとんど意味をなさない。知識や常識を頭のなかに蓄積する代わりに、スマートフォンでAIの世界につながり、即座に必要な回答を得ることができる。しかし「音楽学」が広い学問体系のなかでは、いまだ「何者でもない」ことをまず認識し、すぐ隣の学問分野には通じない論理と言葉で話しているのだ、ということに気づいたときから、真の教養、すなわち未知の世界や他の論理世界を理解する力が育まれる(それは逆に「音楽学」を守ることでもある)。私の大学では「一般教育部セミナー」という、所属する教員が自分の研究について、専門分野の異なる同僚の先生方にわかりやすくお話しするという、修行のようなゼミナールがある。私もその儀式を通過したが3、活発な反応をくださったのは、数学や自然科学を専門とする女性教員の皆様だった。数学の酒井先生は、私の話にインスピレーションを受け、ご著書『めくるめく数学』4に音楽の事例を盛り込むことができたとおっしゃってくださった。趣味でピアノやギターを演奏される先生もとても多い。
今回は原稿依頼をいただいた時から筆が止まり、授業や研究の具体例はどうしても書けなかった。大したことは何もしていないというのもあるが、2つの異なる世界を別々に生きてきたので、そこに通路を作ることがどうしてもできない。しかし動物や海洋生物、人間を含めた生命の神秘に向き合おうとする学生たちとの大学生活は刺激的で、彼らに接続できるような、新しい「音楽学」がいつか誕生することを夢見ている。
参考(お薦め)書籍:
伊東辰彦・森島泰則響編著『リベラルアーツという波動 答えのない世界に立ち向かう 国際基督教大学の挑戦』Gakken, 2019年。
石井洋二郎編『リベラルアーツと自然科学』水声社、2023年。
石井洋二郎+鈴木順子編『リベラルアーツと芸術』水声社、2025年。
(やすかわ ともこ/東日本支部・北里大学一般教育部教授)