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断層の上を歩く――ある音楽学徒のロシア留学記(5)

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新田 愛

 前回連載はユロフスキーのコンサート・シリーズを取り上げた。シリーズと言えば、ロシアでは1シーズン中、共通のテーマで3~6回ほどのコンサートが企画されることがある。「戦時中の交響曲」とか、「フィルハーモニー楽団員による室内楽演奏会」とか。この通し券は「アボネメント」と呼ばれ、シーズンのはじめに売り出される。もちろんバラ券もあるが、アボネメントの方が割安。ただし、各回の間が数ヶ月空くことはざらで、アボネメントを買って全日程を予定に書き込んだはいいが、用事が入って結局ほとんど行けなかった、みたいなこともよくある。

 アボネメントのテーマとして好まれるのが、作曲家の生誕○○年や没後○○年といった記念年。盛大に祝うのはソ連時代から続く伝統のようで、詩人や作家、科学者、軍人の生没の節目には、博物館での展示や劇場での作品上演、あるいは映画や銅像の制作も行われる。驚くことに、こうした企画は5年単位でも開催されるし、10年単位の節目を迎える世界的な偉人ともなれば、前年や翌年にも関連企画が組まれる。こうなってくると、祝わない年を探す方が難しい。

 たとえば、2025年4月に撮影した写真を見てほしい。マリインスキー劇場のコンサート・ホール前広場に掲げられた巨大看板(一緒に映る人間の大きさに注目)に、偉人の生誕アニバーサリーが記されている。左から順に、パレストリーナ500年、リャードフ170年、D. スカルラッティ340年、作家チェーホフ165年、ヘンデル340年、グラズノフ160年、J. S. バッハ340年、ラヴェル150年、作家アンデルセン220年、カレートニコフ95年、オルフ130年、ブーレーズ100年、カンチェリ90年、作家サン=テグジュペリ125年、サン=サーンス190年、スヴィリードフ110年、シベリウス160年、グリエール150年、詩人ブローク145年、作家ショーロホフ120年、J. シュトラウスII世200年、チャイコフスキー185年、バレリーナのプリセツカヤ100年。アニバーサリーのバーゲンセールだ。関連して多くの上演が行われた。

 私の研究対象である作曲家アルフレート・シュニトケは1934年生まれの1998年没。生誕90年の2024年は留学の最終学年にあたり、関連企画が目白押しだった。サンクト・ペテルブルグ作曲家同盟は大規模な音楽祭を開催し、その枠組みで私もレクチャーをさせてもらった。記念学会も各地で開かれた。特に作曲家ゆかりの地であるサラトフ(生誕地エンゲリスの隣町)の学会は3日間開催され、発表内容も夜のコンサートも充実し、シュニトケに満たされる夢のような時間だった。

 モスクワにあるチャイコフスキー・ホールの室内楽ホールは、2024–2025年だけでなく、その前後も含め、計3シーズンにわたって生誕90年記念のアボネメントを組んだ。タイトルは3シーズン共通して「ラビリント」。シュニトケの創作における絶えざる連関を意図しての命名だろう(同名のバレエ音楽があるが、どのコンサートにも含まれていない)。計3つのアボネメント、8回のコンサートの企画・司会を務めるのは音楽ジャーナリストのアンドレイ・ウスチーノフ。彼はこの空間でたびたび手の込んだ「作品」を作り上げている(ほかにも、さまざまな作曲家によるショスタコーヴィチ追悼曲を集めたコンサートや、現代音楽協会(ASM)創立100周年記念アボネメントなどがある)。

 2025年夏に帰国したため3年目は叶わなかったが、最初2年のシュニトケ・アボネメントは大体聴いた。コンサートのたびに飛行機や高速列車、夜行列車を駆使し、ペテルブルグから日帰りや朝帰りの強行軍で通った。単にオール・シュニトケというだけでなく、選曲と語りが面白く、毎回特別な体験だった。身体はフラフラでも満ち足りた気持ちで家路についた。

 初年度アボネメントの第1回公演は2023年10月10日。前半は〈マーラーのピアノ四重奏曲第2楽章へのスケッチ〉、チェロ・ソナタ第1番、後半はピアノ・トリオ。恥ずかしながら、実演に接するのはどれも初めてだった。ウスチーノフは、シュニトケや同時代人の言葉を映像や引用で提示し、それを糸口に話を展開する。たとえば、ピアノ・トリオの第2楽章を、ギドン・クレーメルの言葉を引きながら「苦悩」と表現。そして続ける。シュニトケはヴァイオリン・ソナタ第2番よりも洗練された形で、休符や沈黙によってメッセージを伝えようとしているのだ。

 演奏の質も際立っていた。特にヴァイオリンのレオニード・ジェレーズヌィ。演奏に滲み出る狂気が忘れられない。彼についてはまたどこかで書けたらと思う。

 第2回公演は《古い様式の組曲》やピアノ五重奏曲など演奏機会の多い作品ばかり。ここでも見せ方に工夫があった。《古い様式の組曲》がシュニトケ自身の映画音楽を基にしているのは有名な話だが、演奏が終わった瞬間、照明が落ちてスクリーンに映画のワンシーンが映しだされた(エレム・クリモフ監督『歯医者の冒険』)。生演奏と録音、コンサート・ピースと映画音楽。同じ曲でもまったく違って聴こえる。シュニトケがJ. S. バッハの「仮面によじ登った」と語るとおり、バロック期音楽の様式借用による擬古的な組曲。これが映画になると、歯があっさり抜けるコミカルなシーンにぴたり寄り添うから不思議。

 ウスチーノフはさらに映画音楽の報酬にも触れた。コンサート・ピースが上演禁止の憂き目に遭ったシュニトケにとっては、死活問題。文書館で報酬リストを目にしていながら、それを枝葉の問題だと、論文の視座に組み込まなかった自分の甘さを痛感した。

 休憩が明け、後半の解説。この日、1月19日が正教会の神現祭にあたることからはじめ、悪魔と善の戦いという視点でシュニトケの音楽を語る。さらに、カトリック教徒だった母の追悼として書かれたピアノ五重奏曲の話に接続。連想が止まらない。

 ユロフスキーのレクチャー・コンサートとの違いは色々あるが、何と言っても客席が近い。ユロフスキーが «Stories with the Orchestra» シリーズをやったコンサート・ホールと、今回の室内楽ホールは同じ建物内にあるが、前者が1500人以上を収容するのに対し、後者は100人程度。1階席に座れば、語り手とも演奏者とも目が合う。

 終演後にウスチーノフに話しかける人の多いこと。私も真似して話してみた。強心臓の持ち主なら、レクチャーの最中に客席で反応してもいい。聴衆というマスではなく、私という聴き手個人が参加者であることからくる充実感と緊張感は、第2回連載で取り上げたサロン・コンサートにも通じる。

 語り手も、油断していると聴き手にしてやられる。作家ヨシフ・ブロツキーの詩にインスピレーションを受けて作曲されたピアノ作品《5つの格言》を取り上げた際のことだ。ウスチーノフがブロツキーの死の概念について話すと、私の隣に座っていた恰幅の良い中年女性が「いえ、ブロツキーにあるのは『不死』!」と声をあげた。ちなみにこの女性は詩人らしく、終演後、外のマヤコフスキー広場に出ると、私含め数人にブロツキーの詩をそらんじて聞かせてくれた。即席のレクチャーだ(そのせいで帰りの飛行機に乗り遅れそうになったけど)。

 とはいえ、2年目のアボネメントには確かに「死」というテーマがあった。奇妙な符合が生まれたのは最終コンサート、2025年3月13日。まずスクリーンに浮かびあがったのはシュニトケの同時代人ソフィア・グバイドゥーリナの文字。あれっと思っていると、続いて流れたのは彼女のインタビュー(以下、要約)。

私が音楽を書くのは、何よりもまず、生に必要な高位の実体のため、絶対的極地、神……呼び名は重要ではありません、とにかく生の高次元のためです。

世界という存在は悲劇を内包します。でもこれは悲観主義ではありません。

死は悪ではない。死は痛みです。痛みは考えを必要とします。考えが欲しい者は、耐えなければなりません。

 登場したウスチーノフは、グバイドゥーリナの訃報を伝えた。急遽、プログラム冒頭に彼女のコントラバスとピアノのためのソナタが置かれた。ウスチーノフによれば、かつてグバイドゥーリナは「死に対する態度はバッハとよく似ている、死は善いものだ」と語っていた。彼女が愛した楽器であるコントラバスの奏者もまた、親交があったようだ。グバイドゥーリナはショスタコーヴィチと異なり、死を恐れず、むしろ友とみなしていたと付け加えた。

 ソナタの演奏後、当初予定したシュニトケのプログラムに移った。用意されていた本来のオープニング動画が流され、響いたのはシュニトケのワルツ(クリモフ監督映画『ロマノフ王朝の最期』の音楽)。ワルツを貫く〈ディエス・イレ〉のオスティナート・バスが我々を死のテーマから逃がさない。死がグバイドゥーリナとシュニトケを結びつける。まるで最初からこういう計画だったかのように。

 この日の最後は《3つのマドリガル》。終曲で、チェンバロ、ヴィブラフォン、弦楽器がBACHのモノグラムを受け渡す。そこに重なるソプラノのささやき声と12音音列の叫びが、不思議と、冒頭のグバイドゥーリナのコントラバスを思わせる。あぁ、シュニトケも彼岸を覗いていたのだ。

 ロシアで痛感した。コンサートを作るのは、音楽だけでない。レクチャーは作品のかたちすら変えることができる。しかし、それだけではない。その日の出来事が、その日訪れた聴き手の反応が、演奏者、作曲家、語り手と「対話」する。そして認識する私の感覚もまた、1人の登場人物だ。全てが細胞のように寄り集まり、コンサートは生きている。

(にった めぐみ/東日本支部)

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