筆者はこれまで日本の現代音楽の領域における電子音楽についての書籍『日本の電子音楽』『武満徹の電子音楽』『NHKの電子音楽』などを出版してきました。1974年発行の『トランソニック』誌に掲載された「国内電子音楽スタジオ」というリストには10のスタジオがピックアップされており、7つが東京に集中しています(そのうち3つは大学のスタジオ)。そして、残りの3つは大阪芸術大学/愛知県立芸術大学/九州芸術工科大学のスタジオであるため、このころまでの電子音楽を制作するためのスタジオは東京あるいは大学に集中していたことが分かります。
しかし、日本の大学における電子音楽スタジオは創作のための場というよりもあくまで教育のための施設であり、1970年代の後半からは民生機としてのシンセサイザーが、そして、その後はパーソナル・コンピュータが爆発的に普及することにより、学生たちの興味もそちらに移行していきます。また、こうした時代的な流れに並行して、とくに国際的にもよく知られたNHKの電子音楽スタジオを運用し続けていくことの意義も少しずつ薄れていくようになりました。ただ『トランソニック』誌のリストからこぼれ落ちてしまうようなさまざまな活動が敗戦後の日本各地で行われ続けてきました。
1959年にはNHK大阪で松下真一の電子音楽《黒い僧院》が芸術祭への参加作品として制作されています。2021年に筆者と松井茂は「NHK大阪において制作された電子音楽の調査」という紀要論文を発表しており、こちらの紀要論文や『NHKの電子音楽』では戦前に和田精(イラストレーターの和田誠の父)らが純粋な聴覚のための「純粋ラジオ芸術」を志向したことに端を発して、敗戦後は国際的なコンクール「イタリア賞」への出品を始めとする芸術性/技術性への挑戦が、NHK大阪における電子音楽の制作へと繋がっていったことを明らかにしました。
2010年代には九州大学で教鞭をとっていた作曲家の中村滋延が、九州の作曲家今史朗(こん・しろう)についての詳細な研究を行っており、筆者も『NHKの電子音楽』で今についての調査結果をまとめています。山田耕筰の弟子でもあった今は戦前から福岡で活動しており、戦後はジャズバンドでリーダーを務めるかたわら、ラジオドラマのための音楽の仕事なども手がけるようになります。1962年には九州朝日放送から今の《楽音と具体音による構成「ふくおか」》というミュジック・コンクレート的な要素を含む作品が放送されており、1964年に60歳になろうとする今はNHK福岡放送局の協力により、《12人の奏者と電子音のための作品》という作品を自身の所属する作曲家グループの演奏会で発表するに至ります。
紀要論文「アート・チクルス現代音楽同人会の活動」では、松永通温から作曲を学んでいた山下甫(やました・はじめ)という人物が、1963年に大阪で結成した「現代音楽同人会アート・チクルス」について報告しています。19歳の山下は松下真一から電子音楽のレッスンを受けるようになり、同会はレコードコンサートや作品発表会の開催だけでなく機関誌の発行も行い、さらに山下は自宅に電子音楽スタジオを設立していました(図1)。1966年の作品発表会では一柳慧が来阪して《電気メトロノームのための音楽》などが上演されましたが(図2)、それまでは電気メトロノームの製作を依頼できる人がおらず、山下によるとこのときが日本初演だったとのことです。なお、2024年に筆者は山下の筆による冊子『作曲家・松下真一と過ごした音楽日記 電子音楽編』を出版しています。

図1:山下甫が大阪で設立したリサージュ電子音楽スタジオ(1960年代)

図2:1966年11月6日に大阪の日立ホールで開催された演奏会「第7回アート・チクルス定期演奏会」における一柳慧《電気メトロノームのための音楽》の演奏
下山一二三や松平頼暁らと「グループ20.5」として活動していた江崎健次郎は排他的なNHK電子音楽スタジオに反発して、1965年から翌年にかけてイリノイ大学の実験音楽スタジオとコロムビア大学のコロムビア゠プリンストン電子音楽センターで電子音楽を学びます。紀要論文「日本音響デザイナー協会と演奏会シリーズ『音の展覧会』」では、江崎が帰国後直ちに設立したスタジオ「東京テープ音楽音響工房/音響デザイン社」についてや、江崎が主催した演奏会シリーズ「音の展覧会」の変遷について述べています。1979年までのあいだに13回ほど開催された「音の展覧会」には、作曲家だけでなく評論家やエンジニアも多数参加しており、名古屋や箱根での演奏会も行われていました。
1969年に小杉武久らによって結成された集団即興グループ「タージ・マハル旅行団」はエコーマシンなどのエレクトロニクスを用いて、長時間にわたる即興演奏を主体とした活動を続けていました。タージ・マハル旅行団には映像作家やデザイナーやエンジニアなどのユニークなメンバーも集まっており、1971年にストックホルム近代美術館から展覧会のための連日の演奏を依頼された彼らは、それから1年間ほどのヨーロッパ・ツアーを行っていました。メンバーの1人である長谷川時夫は帰国後まもなく雪深い新潟県の十日町へと移住しており、独自の世界観に基づく音楽活動を展開し続けています。筆者は2021年に長谷川の活動の軌跡を記した『ストーン・ミュージック』、2025年にタージ・マハル旅行団時代の長谷川の文章を集めた『ユートピアへのビジョン』を出版しています。
1976年に金沢大学の学生などによって「金沢アンダーグラウンダーズ・クラブ」が結成されており、こちらの団体はレコード鑑賞会や機関誌の発行を行っていました。高校生だった島田英明もこちらの団体に参加しており、1978年に京都大学で開催されたデレク・ベイリーの演奏会を聴いて、島田はヴァイオリンによる即興演奏を始めるようになります。1985年からの島田は「アジャンスマン」という名義により、ヴァイオリンの演奏を多重編集したテープ音楽にも取り組むようになります。1990年代のなかごろまでの島田はいわゆる「ジャパノイズ」のシーンともゆるく繋がりつつ、その後も金沢という地で広義の電子音楽の制作を続けており、近年は画家としても活躍しています。2025年に筆者は島田のこれまでの活動をまとめた冊子を出版しました(図3)。

図3:2025年5月18日に金沢市の石黒ビルで開催された演奏会「肌触れる風、水流れる体内」においてエレクトロニクスの操作をする島田英明
また、2023年に筆者は新潟を拠点に活動する作曲家、福島諭についてのバイオグラフィ的な文章も発表しています。筆者が2018年に出版した『武満徹の電子音楽』や2025年に出版した『NHKの電子音楽』などの書籍は、やはり東京を中心とした記述で多くが占められています。ただ、筆者は大阪生まれで現在は京都に住んでいるため、さまざまな地域で孤軍奮闘している人たちにどうしても共感を覚えてしまうのかもしれません。近年では金沢で足立智美さんが「金沢国際実験音楽祭」を開催されるなど、首都圏以外でこそ活発になってきたこうしたムーブメントに着目していきたいと考えています。
(かわさき こうじ/相愛大学非常勤講師)