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今日の音楽家 「テレマン」 

佐藤 康太

(本稿は、2023年3月に日本音楽学会のX上に掲載された10回分の文章を、著者の許可を得て転載したものです)

 ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681年マクデブルク生、1767年ハンブルク没)は18世紀前半のドイツを代表する作曲家の一人です。前半生をゾーラウやアイゼナハの宮廷音楽家として、後半生をフランクフルト・アム・マインやハンブルクで都市音楽家として過ごしました。
 最も多くの曲を書いた作曲家としてギネスブックに載っていることで知られていますが、実は毎年数曲単位で作品数が減っています。研究の結果、テレマンの作品ではないと判断される曲が後を絶たないということですね。これは特に近年急速に研究の進んだ教会カンタータのジャンルで顕著です。
 作品数が多いので、テレマンの場合作品目録は2つに分かれています。声楽作品の目録がTVWV、器楽作品の目録がTWVです。研究の基礎となる批判版楽譜はベーレンライター社から出版されていますが、最初から「全集」ではなく「選集」と銘打たれています。
 自伝を3回(1718, 1729, 1740)も書いていて、生涯を知る上での貴重な資料となります。別に自分語りが好きだったというわけでは(おそらく)なく、基本的にすべて他の人から頼まれて書いたものです。正確にはこれに加えて、2014年に発見された1740年の自伝のための草稿があります。
 テレマンはみずから楽譜出版社を立ち上げ、本人曰くハンブルク時代にはプレートの彫版まで自分で行っていました(だからときどき見にくい)。『食卓の音楽』(1733)をはじめ、今日日本で演奏されている彼の器楽曲は、その多くが当時この「出版社テレマン」から出版された作品です。
 テレマンの商売戦略集
1:多くの曲集は週刊誌形式での分割出版となりますが、1週分では1曲完結しないのできちんと毎週買ってね?
2:曲集をバラ売りで買うと割高。お得な予約まとめ購入がオススメ。
3:音楽家コネをフルに使い、各大都市にエージェントを配置。彼らからもご購入いただけます。
 テレマンが活躍したハンブルクは初期啓蒙主義の中心地でした。裕福な市民たちは、それまで貴族が独占的に持っていた教養を身につけ、上流階級と対等に渡り合っていくようになります。そのとき必要とされたものの1つが音楽でした。テレマンの出版活動はそういった需要を満たすものでした。
 音楽に限らずはやりもの好きなテレマンは、1740年以降ハンブルクで大流行した庭園作りにハマり、ヘンデルはじめ遠方の友人音楽家たちに、手紙で珍しい植物を送ってくれるよう頼んでいます。生地マクデブルクの植物園には、当時のテレマン・ガーデンを再現した一角があります。
 生涯を通じて文学好きでもあり、『ドン・キホーテ』や『ガリヴァー旅行記』を器楽曲のモティーフとしたほか、みずから詩を書き、オペラやオラトリオの台本まで手がけました。晩年に至っても、新世代の詩人たち(ラムラー、ツァハーリエ、クロップシュトックなど)の詩に積極的に曲を付けています。
 日本では一部の器楽曲以外なかなか上演される機会がありませんが、ドイツでは一部のオペラが劇場のレパートリーとして定着しつつあり、研究の上では極めて多様な教会音楽の全体像がようやく見えてきています。ぜひ先入観にとらわれず「未知の」テレマンを開拓してみてください。(了)